法隆寺に「若草伽藍」があるが、この若草とはいつごろからついたのか。
高田良信著『法隆寺の謎』 p.117-118に、なぜ「若草伽藍」と呼ばれるのかという問いに次のように答えています。
「法隆寺の境内に若草伽藍跡と呼ばれる場所がある。子院の普門院と実相院(じつそういん)の裏手にあたり、今は草が生い茂った空き地である。その南側には重要文化財に指定された大垣が東西にのびている。その大垣近くには若草の塔心礎と伝える大石がある。それが創建法隆寺(斑鳩寺)の跡であると伝えている。平安時代にはこのあたりを「花園(はなぞの)」と呼んでいたことが経巻の奥書によって知られている。おそらく西院伽藍の南にあって仏前に供する花や野菜を栽培していたところから、そのような名がつけられたらしい。江戸の宝永年間(1704~11)になると「若草」と呼ばれるようになり、『古今一陽集』に土俗の伝として「若草之伽藍」があったとする記事がはじめて紹介されている。それ以来、この地を若草伽藍と呼んでいるが、記録の上では花園というのが最も古い名称である。私は花園が徐々に荒廃して、やがて雑草が茂る野原と化したことから若草という名称が生じたのではないかと考えている。いずれにしても若草という名称がそれほど古い時代のものでないことだけはたしかである。」
◆出典・参考資料