『戦後日本の文化運動と歴史叙述:地域のなかの国民的歴史学運動』

作成者
高田雅士
出版者
小さ子社
刊年
2022.1

 1950年代前半、「村の歴史・工場の歴史」をスローガンに、国民的歴史学運動が展開されました。これは共産党による引回しの側面を強く持っていました。加えて当時武装革命路線を取り、後に党を除名されていく面々(概ね所感派、後の親中国派の系譜で、代表的人物としては、ぬやま・ひろしこと西沢隆二)の領導によっていました。そのため、マルクス主義の方法論に批判的な歴史家はもちろん、戦前の日本資本主義論争における講座派の流れを汲み、その後も長く影響力を保ち続けた共産党員及びシンパの歴史家でさえ、必ずしも高い評価を与えているわけではありません。本書帯には、「『国民的歴史学運動』は忌まわしき過去の悪夢なのか?」とあります。実際に運動の指導者だった網野善彦(1928-2004)の回顧や、ずっと若い世代の小熊英二(1962-)といった影響力のある歴史家による叙述が、そうした運動像を広く深く流布させていると著者は指摘しています。しかし、同時にこうした像は「表層部分」に過ぎず、職業的研究者ではない人びとが、どう運動に取り組み、その経験をどう活かしていったか、その「深層部分」を探る必要があり、それこそがこの本の目的、だとしています。
 具体的な内容紹介は「紙幅」の関係上、省きますが、事例は著者が史料を発掘しえた奈良県や京都府南部のものが中心となっており、これらの地域の教員や「郷土史家」の人名も多数登場します。ここに自分が習った先生の名等を見出す人もいるのではないでしょうか。著者が描きだした「深層部分」は説得力に富むものであり、先行研究として取り上げられている、道場親信らによるサークル運動研究(『下丸子文化集団とその時代』等)が浮き彫りにした像とも、非常に近いものに見えます。ただ、同時に、50年代前半、共産党に指導された運動という文脈でいえば、高橋和巳『憂鬱なる党派』や柴田翔『されどわれらが日々』といった著名な文学作品は、運動の非常に陰惨な側面を描いており、これは逆に小熊らによる「表層部分」の運動像に近いです。このあたりを、自分としてはどう統一して理解すればいいのかを、考えているところです。
 また、2022年11月現在、本書でも頻出する浜田博生が作成に深く関わった、奈良RRセンターの調査報告書『古都の弔旗』を取り上げた戦争体験文庫展示「『古都の弔旗』を読む」を開催する予定です。『古都の弔旗』は直接国民的歴史学運動の中から生まれたものではありません。しかし、本書第四章「地域における歴史叙述 -一九五三年の南山城水害・台風一三号災害をめぐって」で記されているような、運動として記録を作る活動にも通底するものがあります。展示図録もWEB公開する予定ですので、こちらもご覧いただければ幸いです。