『誰が科学を殺すのか : 科学技術立国「崩壊」の衝撃』

作成者
毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 著
出版者
毎日新聞出版
刊年
2019.10

 日本の研究力を示す様々な指標が悪化の一途をたどっており、「ここ5年ほどの日本の科学技術力の落ち方は尋常じゃない。将来を担う若手も育てていない。これからもっと悪くなる」とノーベル賞の有力候補ともいわれる研究者も言います。この急転落は、どうして起きてしまったのでしょうか。
 その原因を探る本書は、まず凋落する日本の研究開発の現状に関して、意思決定や社外からの技術導入の動きが遅い日本企業の特徴や、日本の出資者も結果が出る10年後を見越せず待つこともできないことを指摘し、さらに企業の研究開発が長期的な基礎研究を縮小し、より短期的応用的なものへと対象を移していることを報告します。
 続いて、ここ20年ほどの様々な改革により研究現場が蝕まれ、日本の科学研究力が失われ続けている様を描きます。大学などの多くが施設・資金の両面で研究どころか専門的な教育すらままならず、その逼迫した現状を「大学に冷たい国で、研究現場があえいでいる」と表現しています。
 さらに、日本の科学技術政策の歴史から、現在の病的なまでの改革志向の源流を探ります。5年ごとに策定される科学技術基本計画では財政当局の激しい抵抗で目標が達成されず、国立大学は運営費交付金の削減で体力を奪われ、研究や教育の現場に影響しています。本書が「さらに罪深い」と述べるのは、大学教員が役所の要望への対応や研究費の調達に忙殺されることで、大学の自主性が失われつつあることです。
 そして最後に、躍進著しい中国の研究現場や、金儲けだけではない新たなビジネスモデルを模索するアメリカの社会企業家など海外の最新動向が紹介され、日本との違いを見せつけられます。
 科学技術立国が崩壊した原因は、直接的にはアメリカや中国などと比較して国が投じる研究費が貧弱過ぎるからです。ではタイトルにある「誰が」の言葉が指すのは、企業や行政の財政担当者でしょうか。しかしその人たちの多くも、個人レベルでは科学にお金を使うべきだと考えているでしょう。予算を配分する際に喫緊の課題に対処せざるを得ず、結果的に「木を見て森を見ず」になるのであれば、そうならないためにはどうすればいいのか、それを考えさせられる一冊です。