『学問をしばるもの』

作成者
井上章一編
出版者
思文閣出版
刊年
2017.10

 本来、真理を追究するためには純粋であるべき学問が、政治やコネ等により、捻じ曲げられている例が多数列挙されており非常に面白く読むことができました。取り上げられているのは人文学の諸分野に渡ります。ですが歴史学が多く登場し、その中には邪馬台国論争もありますが、講座派歴史学やその明治維新観がもたらした問題点を取り上げるものも多く見られます。
 講座派歴史学とは、1932年(昭和7)にコミンテルン(国際共産党)が打ち出した日本革命戦術「32年テーゼ」と、このテーゼを裏付けようとした『日本資本主義発達史講座』シリーズ(岩波書店)に理論的に依拠する歴史学のことです。当時アカデミズムにおいては、「百年以内は歴史学の対象ではない」とされていました。そのなかで、服部之総・羽仁五郎・土屋喬雄らマルクス主義者が、講座・労農両派に分かれ、明治維新についても水準の高い論争を繰り広げました。講座派は、明治維新はブルジョア革命ではないから、まずブルジョア革命をしてから社会主義革命に進むべし、とします(二段階革命論)。対する労農派は明治維新ブルジョア革命説、一段階革命論を説いていました。
 本書にもあるように第二次世界大戦終了後、コミンテルンの総本家というべきソ連の歴史家たちは、明治維新をブルジョア革命とみなすようになります。1927年、1931年と続けて出されたテーゼの中で日本革命戦術は揺れ続けていました。こうした過去の政治指導部が火急の必要に迫られ打ち出した方針には、それほど学問の自由のあったように思えないソ連の歴史家たちも、縛られる必要がなかったためでしょう。ところが興味深いことに、学問と言論の自由が飛躍的に保証されるようになった戦後日本では、日本近代史を中心に講座派歴史学がその後何十年間も学会の主流となりました。本書が指摘する問題点もこうした時期のもので、欧米と比較した日本の遅れを過度に強調する役割を果たした点等を挙げています。
 講座派歴史学が主流となった原因としては、指摘されているように戦時中、皇国史観が席捲したことへの反動もあるでしょう。さらに指摘すれば、歴史学特有の事情として、講座派理論を土台に多数の史料と実証が積み重ねられて研究史となっていった結果、若い歴史家は土台には目をつぶっても、研究史に沿った研究をしたほうが有利という事情もあったように思われます。
 当初は講座派の潮流に属しながらも、のちに離れた竹村民郎氏は編者との対談で次のようなエピソードを紹介しています。1955年ころ、講座派系歴史家の中でも政治路線対立と直結した内紛(論争?)があり、その中で非主流となったとある高名な歴史家は、主流派歴史家(ともに本書では実名)への意趣返しから、熱心にソ連の明治維新ブルジョア革命説を紹介するようになったと。ここまでくると、さすがになんだかなぁと感じますが、本書を貫くテーマである「学問における政治とコネ」を象徴しているように思えます。