愛国百人一首を読む

解題

  古代から近世までの和歌から「愛国歌」百歌を選んで、日本文学報国会は昭和17年11月、愛国百人一首を発表した。 これは、川田順が「私選にあらずして『公選』のものである」とする(『愛国百人一首評釈』)ように、内閣直属の情報局が認定し、 後援には陸軍省・海軍省・文部省・日本放送協会・大政翼賛会が名を連ねている。太平洋戦争下、国民の戦意高揚を意図してのものであることは言うまでもない。 具体的に選定にあたったのは、日本文学報国会の短歌部門で、選者として佐佐木信綱、土屋文明、釈迢空(折口信夫)、斎藤茂吉、太田水穂、尾上柴舟、窪田空穂、 吉植庄亮、川田順、齋藤瀏、松村英一、北原白秋(選定期間中に死去)の12人が名を連ねていた。 もちろん、選定時とは価値観が一変した戦後も活躍を続けた選者の場合は特に、愛国百人一首の選定に関わったことは、微妙な経歴とはなった。 しかし、当時としては、歌人として文学研究者として、推しも推されぬ第一人者ばかりである。

 解説書の類では、おおむね選者自身が明らかにした選定基準が示されており、川田著によれば次のとおりである。

  1. 形式的には短歌であり、小倉百人一首に採録されているものは除く。
  2. 時期的には、万葉集以降で、明治維新前に没した詠者に限定する。
  3. 臣下の歌に限定、つまり天皇や皇族の歌を除くこと。
      これらが必要条件で、3.については、直接照会して宮内省の意向に従ったとしている。
      この他に、相対的なものとして次のような選定基準があったとする。
  4. 「愛国」を広義に解釈する(例えば、母性愛や夫婦愛をうたった女性の歌、国土の美しさをうたったものなど)
  5. ある作者の歌の中から一種を選ぶ場合は、直接愛国の精神を詠っているかよりは、和歌として優れているかを基準とする。
  6. 明朗に、また積極性を帯びている作をなるべく優先する。
  7. 歴史上有名な人物の作であっても、あくまで作品としての質で選定する。

 こうして公表された選定基準とは別に、選者の間では共通認識となっていた選定方法があったという。 今川仁視「『愛国百人一首』における選歌と編集の方針について」(『東海近代史研究』19号、1997)は、斉藤茂吉による選評(全集だと14巻703頁-)などをもとに、 新古今和歌集と同様、「語句の連鎖」によって、歌を選んでいったのではないかと推測する。つまり、Aの歌と共通する(又は同じ意味を持つ)語を詠みこんだ歌Bを選び、 次にBの歌の中で別の語を共通する歌Cを選ぶといった方法をとり、一つ一つの歌はもちろん、この語句の連鎖(例えば春→神→君→富士→天→雪→春で「神国」といった)「愛国」を 具体化する小テーマを表現しているというのである。 今川は、この方法により、時代順に並べられた歌の順を、テーマごとに復元して示している(本図録では12頁にその一部を示した)。

 この時代順再編成によって、愛国百人一首のテーマ性は見えにくくなった一方で、詠者の時代性は見えやすくなった。 川田順は前掲書で、万葉集関係の詠者として23人、江戸時代の詠者として過半の51人と数えている。 とりわけ、江戸時代でも、国学者や尊皇派の志士を中心に、幕末に生きた詠者が30人近くを占めているのも一目瞭然であり、天誅組関係者のものも、 表紙のように松本奎堂・吉村寅太郎・伴林光平・渋谷伊与作の4首が収められている。作品としての質を優先するとしつつも、南北朝期の作は南朝側の人物に限って採録し、 尊皇派の志士の歌を積極的に採録したのは、一定程度歴史性が反映されているといってよい。なお、選定には辻潤之介、平泉澄、井野辺茂雄といった歴史家も協力している。

 発表された時代順配列は、考証をもとに詠者の厳密な死亡年順にもとづくものに改定がなされた(関西連合教育会『通釈愛国百人一首』)が、 一般には当初発表された順のものが流布している。

 選者らの共著である『定本愛国百人一首解説』は、「和歌を通して指導精神を示さうとして、古来の愛国歌を選定したもの」で「かるたの資料としてのものではない」とする。 しかし、「一度び、選定した以上、それが一般に流布し、浸透し、精神的感化の大いならんことを望んでいる」ため、かるた化されることは望ましいとしていた。 そして実際に、どれだけ遊ばれたかは別にして、多数のかるたが発売されており、今回紹介するのもその一例に過ぎない。

 小倉百人一首以外のいわゆる異種百人一首では、これだけかるたが作られたものもまれであり、加えて発表されたのが昭和17年11月と、 昭和20年の終戦まで発売されうる時期が3年弱しかなかったことを考えれば、異例の普及を遂げたといえる。

 ある一定の時代状況の中で、時の政策課題に沿う形でいわば歌群を「戦争利用」した行為、ましてや利用された歌群自体を、どう評価するかは難しい問題である。 万葉集から採録された歌は、愛国百人一首に選ばれなくとも、評価され続ける歌である。しかし、特に川田の尽力により採りあげられた、従来あまり知られていなかった幕末の 詠者の歌についてはどうか。愛国百人一首に入って、一時的にはスポットが当たった一方で、かえって戦後は、文学史に取り上げられることを忌避された場合もあろう。 戦争と短歌、のみならずひいては文学や芸術との問題を考えるうえで、恰好の素材を提供しているといえる。