戦争体験文庫 in 日本橋
戦争と食べもの

奈良県立図書情報館の戦争体験文庫が行う平成21年度の展示は、「戦争と食べもの」というテーマを設け、太平洋戦争期の食べものについてご紹介します。

昭和13年に国家総動員法が定められて以降、政府は米の統制を強めました。奈良県は、「戦地を偲んで二割の節米」の標語を掲げ、節米運動を展開しました。昭和16年4月には、米の配給制が実施されました。配給される米は、大人1人あたり1日に2合3勺と定められ、それぞれの家庭に米穀通帳が配られました。

戦時中に、野菜は不足しており、自給自足が呼びかけられました。空き地を利用して、トマト、ダイコン、トウモロコシなどを作ることが奨励されました。また野菜の完全消費が掲げられ、皮、種、枯れ葉、へたまでも食べるようになりました。

昭和15年に砂糖が配給制になったのを初めに、塩、味噌、醤油など調味料も配給制になりました。戦局が悪化すると、配給の遅配、減配が増え、玉子の代用としてメリケン粉で作るかに玉、カラス麦と黒豆で作る代用コーヒーが紹介されました。また、廃物にしていた食べ残しの魚の頭や骨でふりかけを作るなど、食生活の無駄をなくす工夫が実践されました。

日本は昭和20年8月に終戦を迎えますが、戦後も食糧の配給制は続いていました。食糧配給公団の奈良県支局は、「コーンミールのおいしい食べ方を御存知ですか」と案内したパンフレットを作成し、アメリカから輸入したコーンミールの調理法を広め、食糧の配給不足を補いました。

米の配給と供出

野菜

調味料

戦後の配給

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