奈良市のあゆみ 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」、 市制100周年記念要覧「奈良」より(奈良市発行) 参考資料:「奈良市史」より、奈良市のホームページ「奈良のあゆみ」 |
||||||
明治時代 | ||||||
明治13年(1880)興福寺旧境内と春日野一部を公園地に認定。 明治20年(1887)11月4日奈良県の再設置が決定。県庁には旧奈良師範学校が当てられ12月1日開庁。 明治22年(1889)4月1日「奈良町」成立 。(人口不足で市制見送り)大字東寺林の東端北側に町役場設置。 明治31年(1898)2月1日奈良市市制施行。 |
||||||
植桜楓之碑 建立嘉永3年(1850) 興福寺五十二段わきに碑がある。 嘉永二年(1849)奈良奉行川路聖謨が東大寺・興福寺に桜や楓を奉納。これを機に寺社や町民が協力し高円・佐保地域まで植樹を広めた。 現在の奈良公園の緑化のもとをつくりだした。 |
すべり坂の桜![]() 写真:「奈良県名勝写真帖」より(明治43年発行) 奈良県立図書情報館蔵 |
四季の川路桜 (奈良市 佐保川) 写真提供:福田庄之助氏 平成21年頃(2009) ![]() |
||||
学校の始まり 明治5年、学制が定められ、小学校が設けられます。2年で10校が開校。その後統合があり 、明治16年(1883)には鼓阪、飛鳥、中辻、椿井、大豆山の5校に整理された |
||||||
明治9年新築の椿井小学校![]() 写真提供:椿井小学校 市制100周年記念要覧「奈良」より |
明治16年 椿井小学校![]() 写真提供:椿井小学校 |
明治16年12月 御所馬場町に鵲小学校を移し 飛鳥小学校と改称 (明治16年) ![]() 写真:「飛鳥百年史」より |
||||
明治22年(1889)4月1日 町制施行 町役場を東寺林町に設置 | ||||||
明治23年(1890)12月27日 大阪鉄道奈良-王寺間開通 奈良駅が営業開始 奈良盆地にはじめて「陸蒸気」が走った。 (大阪湊町から奈良への路線が亀瀬トンネル工事難航のため先行運行開始、明治25年大阪湊町~奈良間全通) |
||||||
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
昭和はじめ 国鉄奈良駅前広場(初代駅舎) ![]() 写真:「奈良市史」通史四より |
|||||
明治28年(1895)4月29日 帝国奈良博物館開館 (現 奈良国立博物館) |
明治28年(1895)12月15日 奈良県庁舎完成 |
|||||
主体は煉瓦造り、外装は花崗岩の洋風建築![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
明治28年に新築された県庁 和風木造建築。 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より 「大和名勝写真帖」より 奈良県立図書情報館蔵 |
|||||
明治31年(1898)2月1日 奈良市市制施行 |
明治31年(1898)4月19日 関西鉄道加茂-大仏間開通 |
明治33年(19002月17日 若草山焼きをはじめて夜間に実施 |
明治33年(1900)12月7日 春日奥山周遊道路が完成 |
|||
市役所庁舎 市制施行当時の最初の市庁舎 旧奈良町役場をそのまま使用した。 奈良市東寺林三十八番地 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より :「奈良市史 通史四」より(奈良市史料館蔵) (写真:明治30年代) |
関西鉄道加茂-大仏(現法蓮町)間の開通で、奈良から名古屋へ鉄道が通じた。大仏鉄道の名で親しまれたが、明治38年に木津まわりに変わり、その後廃線になった。昭和39年にこの黒髪山トンネルも壊され切通の道路となった。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
「 日本之名勝」 瀬川光行編 明治33年出版 大和 三笠山 ![]() 「 日本之名勝」 瀬川光行編 明治33年出版 |
瀧阪楓 瀧阪街道は紅葉の名所 ![]() 写真:奈良名勝写真帖より(発行:大正4年) 奈良県立図書情報館蔵 |
|||
明治35年(1902)2月15日 春日野町に奈良県物産陳列所開館 |
明治35年(1902)4月 県師範学校、女子部開設。 36年に半田横町北魚屋東町の新校舎に移転。(現奈良女子大東) (明治38年奈良県女子師範学校として独立) |
明治36年(1903)6月6日 県公会堂会館 |
||||
物産陳列所 明治35年に開設。 昭和27年から奈良国立文化財研究所になった。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
奈良県師範学校 明治21年奈良県尋常師範学校として創設され、登大路町の現県庁敷地内にあった。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
奈良県女子師範学校 師範学校は小学校教員の養成学校。奈良県師範学校の女子部が明治38年に独立し、女子師範学校となり、付属小学校も設置された。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
2号館(南側)は明治22年奈良の銀行家の倶楽部として猿沢池近くに建てられたものを移築。 県公会堂1号館(北側)は明治36年に建てられて迎賓館、集会所としてつかわれた。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
明治37年(1904)9月6日 若草山に人文字「祝」 当市各小学校合併シテ遼陽占領ノ祝賀式ヲ挙行ス其ノ概況左ノ如シ。 午前五時三〇分、興福寺金堂前二集合シ、ソレヨリ三千有余名ノ児童ハ各自陸海軍ノ擬旗ヲ持チ若草山二行進シ、予メ区劃セル通リ山腹ニテ一大祝字(東西八十間、南北七)形二並列シ、空砲合図二万歳ヲ三唱シ、各自持参ノ陸海軍ノ擬旗ヲ残シテ帰途ニツケリ。旗ニテ前ノ一大祝字ヲ画ケル有様壮観ナリシトテ、当地ハ勿論、東京ノ新聞紙上ニモ喝采ヲ博セリ。(奈良市史より) |
明治38年(1905)1月10日 旅順陥落祝賀式を公園芝生に於いて執行し、余興として奈良市総合運動会を催せり。 椿井小学校「学校永代記録」 |
|||||
明治37年9月6日 若草山に人文字「祝」 ![]() 写真提供:椿井小学校、飛鳥小学校 |
明治37年9月6日 若草山に人文字「祝」作成中 ![]() 写真提供:椿井小学校、飛鳥小学校 |
![]() 写真提供:飛鳥小学校 |
||||
明治40年(1907) 椿井小学校改築 |
明治40年(1907) 東大寺大仏殿 明治大修理開始 |
|||||
昭和29年までこの校舎は使われた。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
明治大修理直前の大仏殿 宝永6年(1709)にできた大仏殿は屋根が傾き雨漏りがしてきた。明治40年から6年かかって大修理が行われた。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||||
明治41年(1908)11月 陸軍特別大演習 (日露戦争は苦戦の中勝利。戦勝勢いを示すべく天皇を統監とする大演習を奈良地方で実施)) 明治41年十一月十二日(士二日の誤記) 午前十一時四十分ヨリ、職員全児童ヲ率ヰテ金堂前二参集シ、旗行列ヲナシテ一二笠山二至リ、奉迎ノニ字ヲ旗ニテ顕シタリ。此ノ光景辱クモ天覧ノ光栄ヲ拝シ、御賞辞ヲ下シ賜ハリタリト云フ。 |
||||||
明治41年11月12日 若草山に人文字「奉迎」 ![]() 写真提供:椿井小学校、飛鳥小学校 |
明治41年11月陸軍特別大演習記念写真帖 出版:明治42年 ⇒国立国会図書館デジタルコレクタへリンク |
特別大演習写真帖 明治41年 撮影:陸地測量部 小川写真製版所出版 明治42年出版 ⇒国立国会図書館デジタルコレクタへリンク |
||||
明治41年(1908) 電話交換開始・電話開通 | ||||||
大軌終点駅 奈良駅・大正7年頃 公衆電話・客を待つ人力車が見える。 大正6年7月から常設公衆電話 (奈良市内二か所目) ![]() 写真提供:近鉄グループホールディングス株式会社 80年のあゆみ |
大正7年(1918)5月撮影 電話開通十周年祝賀会 ![]() 奈良に明治41年(1908)電話開通。 十周年祝賀会の写真。写真の山車に「祝電話開通十周年」とある。 多くの芸妓が応援に。 電話局は下三条町にあった。 写真提供:元林院写真ギャラリー |
|||||
明治42年(1909) 第53連隊設置 |
明治42年(1909)5月1日 奈良女子高等師範学校開校 (現奈良女子大) |
明治42年(1909)10月17日 奈良ホテル開業 |
||||
明治42年 高畑の現奈良教育大学のところに市が土地を提供、京都府下の第38連隊よりより転営し第53連隊ができた。大正14年連隊廃止され第38連隊となり、敗戦までここで訓練を受けた兵士は約7万を数えた。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
市が旧奈良奉行所の跡を提供![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
奈良ホテル 興福寺の大乗院の南庭を取り入れた丘の上に鉄道院の経営で開業 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||
明治44年(1911)5月20日 奈良ガスがガス供給開始 |
||||||
当時、ガスはガスランプとして使用が中心だった。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||||
大正時代 | ||||||
大正3年(1914)6月25日 旧奈良郵便局開業 |
大正3年(1914) 旧奈良市庁舎改築 |
大正初期の奈良市風景 奈良名勝写真帖(大正初期) 奈良県立図書情報館蔵 |
||||
これまで橋本町にあった局舎を、大正2年上三条町に新築。翌年より業務開始。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
右は事務室大正3年改築。左は市会議事堂で明治41年改築の建物。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より 「奈良名勝写真帖」より奈良県立図書情報館蔵 |
右奥に春日山、御蓋山の手前に奈良ホテル、中央に興福寺の五重塔、左に南円堂。手前が椿井小学校、その右が三十四銀行(奈良支店)の屋根が見える。 ![]() |
||||
大正3年(1914)4月30日 大軌、大阪上六-奈良(高天町)間電車営業開始。 |
高天通り近くを走る電車 |
電車 | 大正4年(1915)5月2日 東大寺大仏殿修理落慶法要 |
|||
大軌、大阪上六-奈良(高天町)間電車営業開始。 7月8日東向中町終点まで延期。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
路線が地下に移設されるまで、国鉄線をガードで越え、油坂駅から東は路面を自転車並みの速さで通過した。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
大軌開通時の電車 はじめは木造車で、。開業時18台。 上六まで55分で走った。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
東大寺落慶法要記念絵はがき 明治初期の廃仏毀釈で荒れた寺社の再建気運が高まり、大仏殿の修理が行われた。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
大正4年(1915)頃 都跡小学校 | 大正5年(1916) 鼓阪小学校 | 大正8年頃の鷺池と浮見堂 | ||||
![]() 写真:「奈良市史」より |
![]() 写真:鼓阪小学校 |
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
||||
大正6年(1917) 済美小学校新築 |
大正7年(1918)8月14日 米騒動 |
大正7年(1918) 和服の学童 |
大正10年(1921)当時の 尾花座 |
|||
大正6年新築。この校舎は昭和31年1月18日火災で焼失した![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
第一次世界大戦の好況で米価が高騰し、群衆が米屋に押しかけて安売りをせまる。米騒動が起こった。市は緊急に内外の米を安価で市民に提供した。 | 大正7年の椿井小学校の校庭 和服姿の体育の授業 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
大正時代の市民の代表的な娯楽は映画であった。 奈良には尾花座と中井座という芝居小屋があったが、明治の終りにそこで映画の上映も始まった。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
大正11年(1922)9月30日 上水道工事完成、市内に給水開始 |
||||||
今在家町の佐保川横断400mm送水管工事 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
三条通りの250mm送水管敷設工事![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
高地区配水池切取及び床固め工事![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
現存している奈良坂配水池![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
大正11年(1922)10月12日 平城宮跡を史跡に指定 |
大正11年(1922) 済美小学校 |
大正13年(1924) 4月1日 県立奈良中学校開設 |
||||
幕末の北浦定政以来、関野貞、棚田嘉十郎、溝辺文四郎らの保存運動を経て、国の史跡となった。 建碑以前の平城宮跡 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
平城宮跡碑 翌年大正12年この碑ができた ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「奈良市史」より |
県立奈良中学校とプール 大正13年に県立中学校設置 プールは昭和2年にできた。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
大正13年(1924) 新温泉開業 登大路に娯楽場を備えた遠景大浴場 |
大正14年(1925) 佐保小学校竣工 | |||||
奈良新温泉 大正13年奈良駅近隣に開業 大浴場、食堂、料理旅館、娯楽場など完備し15年には東館も増設されたが、昭和恐慌の影響で昭和6年閉鎖 ![]() 写真提供:近鉄グループホールディングス株式会社 |
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
|||||
大正15年(1926)6月11日 あやめ池遊園地開園 |
||||||
あやめ池遊園地の開園 昭和3年から4年にかけて、温泉場、劇場、食堂も大軌直営で開場した ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||||
昭和時代 |
||||||
昭和3年(1928)1月1日 奈良市街自動車が営業開始 |
昭和3年(1928)10月20年 春日奥山周遊自動車道完成 |
昭和4年(1928)3月 市営塵埃焼却場設置 |
||||
昭和4年頃 15人乗りの周遊バス ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
昭和3年に大軌の寄付金で改修、翌年の春からバスで周遊できるようになった![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
奈良自動車と当時の制服 昭和6年頃 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
三条町高橋に完成![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
奈良市庁舎 起工:昭和4年(1929)3月 竣工: 昭和4年12月 |
昭和4年(1929)12月 市庁舎改築竣工 |
昭和4年(1929)10月 横領町に競馬場ができる。 |
||||
奈良市庁舎建設中 上棟式 手前の川は尾花谷川で暗渠となった。 ![]() 写真提供:飛鳥小学校 |
昭和4年に改装された市庁舎 老朽化がひどく手狭になったため、木造2階建ての庁舎と議事堂を改装した。4月に改装工事が始まり12月竣工 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より 「奈良市史」通史四より(奈良市史料館蔵) |
この競馬場は昭和14年(1939)に秋篠に移され昭和 26年(1951)廃止され競輪場になる。 写真は昭和23年(1948)9月1日西大寺付近航空写真 右上の輪状が秋篠の競輪場 写真出典:国土地理院ウエブサイトUSA M85-1 145 ![]() |
||||
昭和3年 大軌奈良駅前 東向中町 登大路(大宮通り) ![]() 写真提供:大安寺小学校(「奈良市の昭和」樹林舎より転載) |
||||||
奈良市制35周年観光産業博覧会(昭和8年3月20日~5月21日) 写真提供:谷井孝次氏 会場:奈良公園・大軌東向駅周辺・京終 主催:奈良市観光協会 第1会場:大軌(現近鉄)東向駅東北の笹鉾町会場(現天理教教会あたり) 産業本館(全国の物産展示)、国防館、機械館 台湾館、阿里山館、朝鮮館、満州館など植民地のパビリオン。 、演芸館、海女実演館、子供の国、発明館、 第2会場:奈良公園登大路町(当時県庁舎東、現県立美術館あたり) 観光館(各府県の名勝紹介)、奈良特設館、野外劇場 第3会場:京終駅周辺 野外演芸場、中国風城門を模した日支事変館ほか |
||||||
博覧会記念パネル![]() |
||||||
第一会場![]() 歴史館 |
![]() |
奈良県物産 郡山金魚![]() |
第一会場 海女実演館![]() |
|||
奈良市制35年(昭和8年) 観光産業博覧会 第一会場絵葉書 写真提供:谷井孝次氏 | ||||||
第一会場![]() 海女実演館 (絵葉書) |
第一会場![]() 演芸館 (絵葉書) |
第一会場![]() 台湾館 (絵葉書) |
||||
奈良市制35年(昭和8年) 観光産業博覧会 歴史館内 写真提供:谷井孝次氏 | ||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
||||||
奈良市制35年(昭和8年) 観光産業博覧会 産業館 写真提供:谷井孝次氏 | ||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
(参考)全国産業博覧会 昭和6年3月15日~5月8日 浜松市が市制20周年記念として開催 写真提供:谷井孝次氏 | ||||||
![]() 国産館 (絵葉書) |
![]() 演芸館 (絵葉書) |
![]() 東門 (絵葉書) |
静岡館 (絵葉書) ![]() |
|||
昭和8年(1933)3月20日 奈良市制35周年 観光産業博覧会開催 笹鉾・登大路・京終駅前の三会場で開かれた。 写真提供:奈良市政80年の歩み/市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||||
観光産業博覧会第2会場の門 奈良市制35周年を記念して観光産業博覧会を開催 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
第一会場産業本館前 キリンビールのビール瓶の形をした噴水 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
第一会場正門![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||
昭和はじめ 国鉄奈良駅前広場 (初代駅舎) |
昭和9年(1934)寺院風駅舎完成 (後の高架化に伴い曳家により移動し奈良市総合案内所として利用。) (近代化産業遺産) |
|||||
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||
昭和9年(1934)6月1日 南都銀行発足 |
昭和の初め 近鉄奈良駅構内 | 昭和の初めのすべり坂 | 昭和の初めの三条通り | |||
六十八・御所・八木・吉野の4銀行が統合して発足![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
![]() 写真:「奈良市史」通史四より (奈良市史料館蔵) |
|||
昭和10年代 | ||||||
昭和11年(1936)11月 鼓阪小学校講堂 |
昭和11年(1936)12月 循環道路の開通 |
昭和13年(1938)11月19日 三条町に奈良警察署竣工 |
||||
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
紀寺から綿町までの道路が拡幅され、昭和11年12月に開通式。市内循環できるようになった。当時の写真![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和52年頃![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和13年竣工の奈良警察署 鉄筋コンクリート3階建てで、戦争中は屋上に防空監視哨があった。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和13年(1938)頃 飛鳥小学校 | 昭和14年(1939) 相撲道場開き |
昭和15年(1940) 奈良女子高等師範学校の防空訓練 |
昭和15年(1940) 都跡村を合併 |
|||
![]() 写真提供:「飛鳥小学校 |
飛鳥小学校の相撲道場 昭和14年の道場開きには当時の人気力士「笠置山」を招いた ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真提供:奈良女子大学「奈良市の昭和」樹林舎より転載 |
都跡村役場 昭和15年、都跡村を合併 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
昭和16年(1941)4月1日 小学校を国民学校と改称 |
昭和16年(1941)4月1日 市立奈良高等女学校を創立 16年大宮小学校北館を仮校舎にし、17年法華寺町の新校舎に移る。 「有為なる皇国女性」の育成 |
|||||
昭和15年10月23日運動会 (剣道) ![]() �武道訓練が始まる 写真:椿井国民学校の武道訓練 |
昭和16年開校。戦後の新学制で奈良高等学校に併合された。校地には今、市立一条高校が新設されている。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
市立奈良高等女学校 昭和19年になると中等学校3年生以上の学徒動員が本格化。学校も工場のように軍需品をつくった。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
市立高女生徒の登校風景 写真:奈良市史より ![]() |
|||
昭和16年(1941) 慰問袋を届ける小学生 |
昭和16年(1941)ごろ 大宮小学校 | |||||
慰問袋を持って市役所を訪れる小学生 出征兵士を慰問するため学校や隣組で慰問袋がつくられた。これは昭和16年小学校の児童が市役所へ届けているところ。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「奈良市史」より |
|||||
昭和17年(1942) 勤労奉仕 護国神社建設に奉仕する市民 |
昭和17年(1942) 護国神社がつくられた。 |
壮行会 軍に志願した旧制中学生をおくる人たち |
||||
戦争中、学生・生徒のほか青年団員・婦人会員らが農業の手伝いや軍需工場などの仕事に汗を流した。 護国神社建設に奉仕する市民。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
護国神社![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
防空壕を造る町内の人々 (鳴川町) |
防空演習 | 出征兵士の歓送式 | ||||
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より 「奈良市史」通史四より(奈良市史料館蔵) |
空襲に備えて、各町では灯火管制・防火などの訓練をたびたびおこなった。 国鉄奈良駅前での演習風景 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
防空演習で炊き出しする婦人![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
昭和18年(1943) 学徒出陣 |
昭和20年1月 満州開拓青少年義勇軍の出発 |
疎開児童 | ||||
昭和18年になると学生も戦争に動員された。 これは日の丸を肩にかけ、出陣する国鉄駅前での奈良師範学校(現奈良教育大学)の学生たち。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
満州、内蒙古を開拓するために青少年が大陸へ渡った。 椿井国民学校高等科2年男子4名の壮行式 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
戦争末期、空襲をさけて親戚・知人をたよって都会から地方へ疎開してくる児童がふえた。椿井国民学校の第1次受入児童![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||
昭和20年代 (終戦 昭和20年8月15日)) | ||||||
占領下の奈良 |
昭和21年(1946)10月19日 正倉院特別展 奈良帝室博物館で開催 |
|||||
登大路と東向通の十字路で交通整理をする丸腰の日本警官とMP![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
自転車で登大路を行くアメリカ兵![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||
昭和22年(1947)4月1日から新学制で義務教育の小学校設置 4月22日 新制中学校創設(若草、三笠、春日) 昭和24年 新校舎を持つ。 |
昭和22年(1947)4月5日 地方自治法による最初の 市庁公選選挙実施 |
|||||
春日中学校![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
若草中学校![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
三笠中学校![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
公選市長の誕生 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和23年(1948)3月7日 自治体警察制度創設 市警庁舎 |
昭和23年(1948)4月1日 自治体消防制度発足 |
昭和23年(1948)11月1日 奈良市庁舎全焼 |
||||
昭和23年から29年まで、三条通りに自治体警察として奈良市警察署があった。迷彩色が残る市警の建物。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
自治体消防制度発足 県庁前に勢ぞろいした消防署員 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
50周年記念の10日後に全焼![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||
奈良市制50周年記念行事(昭和23年)(1948)10月22日 写真提供:奈良市政80年の歩み | ||||||
10月22日式典を挙行 展覧会などもおこなわれた。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||||
昭和23年(1948)9月1日県立奈良高等学校が発足 昭和24年(1949)5月31日 奈良女高師は奈良大学に奈良師範は奈良学芸大学に |
||||||
昭和25年(1950)4月1日 奈良市立一条高等学校開校 |
昭和25年(1950)11月3日 奈良市庁舎再建 |
昭和29年(1954)6月22日 市庁別館の落成 |
||||
市立一条高校 6・3・.3.・4制の新学制が22ねんからはじまるのにともなって25年に開校 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
市民の文化センターとして落成 正面の天女は中西重久・大塩正人の作。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
外国人団体観光客が増える | ||||||
名所めぐりの定期観光バスの運行が、観光ブームのきっかけとなった。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||||
昭和30年代 | ||||||
昭和30年(1955)3月15日 帯解町・明治村・五ケ谷村・辰市村・伏見町・富雄町 奈良市に合併 |
昭和30年(1955)11月6日 鴻ノ池運動公園計画第1期工事として市営球場完成 |
|||||
明治支所 明治村役場は支所となった ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||
昭和32年(1957)9月1日 田原村・柳生村・大柳生村・東里村・狭川村 奈良市に合併 |
昭和34年(1959)7月20日 平城宮跡の発掘調査開始 |
|||||
合併を決めた柳生村議会![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和34年から奈良国立文化財研究所の本格的な調査がおこなわれた。![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||||
奈良市制60周年式典 (昭和33年)(1958)2月1日 写真提供:奈良市政80年の歩み 式典は一条高校でおこなわれた。 |
||||||
市制60周年式典 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
市制60周年式典 一条高校にて行われた。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||||
学園前地区の開発 西部地区を中心に住宅団地が急増 |
||||||
昭和30年頃の学園前付近![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和33年当時の学園北地区 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
20年代後半にはじまった開発で、丘陵や農地が住宅地になった。38年、登美ヶ丘のロータリー付近から近鉄学園前駅方面。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
昭和52年頃の奈良市西部地区![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
昭和34年(1959)6月9日 阪奈道路開通 |
昭和35年(1960)3月10日 奈良遷都千二百五十年祭開催 ⇒遷都千二百語十年祭へリンク |
昭和35年(1960) 大和文華館 開館 |
||||
阪奈道路開通式 生駒山を横断する阪奈道路の開通で大阪がちかくなった。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
近鉄の経営で昭和35年開館![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
昭和36年(1961) 7月1日 奈良ドリームランド開園 |
昭和36年(1961)9月16日 第二室戸台風襲来 |
昭和38年(1963)7月2日 緑ケ丘 浄水場の通水式 |
昭和38年(1963)10月20日 大安寺下水処理場開設 |
|||
アメリカのディズニーランドを参考に開設![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
第二室戸台風で倒れた良辨杉![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
大安寺下水処理場開設 昭和40年に富雄にも新設 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和40年代 | ||||||
昭和40(1965)年3月18日 新県庁舎の落成 |
昭和40年(1965) あやめ池小学校開校 |
昭和40年(1965)12月16日 名阪国道が開通 |
昭和42年(1967)3月12日 第一回市民マラソン大会実施 |
|||
奈良県庁新庁舎 昭和40年(1965)3月22日 写真撮影:木村守男氏 ![]() |
昭和40年にあやめ池小学校と鶴舞小学校を新設。 翌年には鳥見小学校が開校 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和38年着工、2年後に完成 工事を1000日以内に完成させる目標から「千日道路」といわれた。 ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
第1回市民マラソン春日奥山ドライブウエーのコースで開催![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
奈良市制70周年式典(昭和43年2月1日) 一条高校にて 写真提供:奈良市 |
||||||
昭和43年2月1日 市制施行70周年を祝い一条高校で式典 ![]() 写真提供:奈良市政80年の歩み |
市制70周年式典 一条高校にて ![]() 写真提供:奈良市勢要覧69年 |
市制70周年式典 一条高校生徒による一文字 ![]() 写真提供:奈良市勢要覧69年 |
||||
奈良市制70周年(昭和43年) 写真提供:谷井孝次氏 | ||||||
![]() |
![]() |
ミス奈良のトロフィー![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
||||
昭和44年(1969)7月22日 須川ダム完成 |
||||||
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||||
大渕配水池 | 昭和44年(1969)12月1日 西部出張所開設 |
昭和44年(1969)12月9日 近鉄奈良の地下駅営業 |
||||
小さい方は昭和42年、大きい方は昭和44年竣工![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
学園前北側に開設 今は学園北二丁目に西部公民館と併設 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
近鉄奈良駅の地下化工事 昭和昭和44年12月9日に乗り入れが始まった。翌年3月には近鉄の駅ビルが建ち、12月に大宮通りも全通。周辺地区が大きく発展する。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||
昭和45年(1970)3月11日 近鉄奈良駅前広場完成 |
昭和47年(1972)6月3日 中央体育館完成 |
昭和47年(1972)9月15日 福祉大会を開催 |
昭和47年(1972)12月1日 北部出張所開所 |
|||
近鉄奈良駅前広場完成 平城京ゆかりの恩人行基菩薩像を建立し仏都奈良を印象付けている ![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
福祉都市宣言をし、福祉憲章を発表![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
平城ニュータウンの入居が47年11月にはじまり、12月に開所。 今は右京一丁目。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和48年(1973)2月7日完成 大安寺下水処理場に2次処理施設完成 |
昭和48年(1973)5月28日 都市計画道路外環状線北部地区完成 |
昭和48年(1973)6月18日 やすらぎの道(六条-奈良坂線)開通 |
||||
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
昭和48年5月に開通。地下に直径1mの水道管埋設。 いまは「ならやま大通り」の愛称。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
|||
昭和48年(1973)9月4日 国鉄駅前に時計噴水完成 |
||||||
![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||||
昭和50年代 | ||||||
昭和50年(1975)7月20日完成 平城ニュータウンに 初の市営プール |
昭和52年(1977)2月11日 奈良市役所移転 |
|||||
平城第3号近隣公園プール![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
東寺林町から北新町(二条大路南一丁目)に移転 市制80年にあたる52年に完成。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
完成間近い新市庁舎![]() 写真:「グラフ奈良市政80年の歩み」より |
||||
昭和54年(1979)1月20日 太安万侶の墓発見 古事記の編者・太安万侶の墓が比瀬町で茶畑の改植中に竹西英夫さんが発見。 墓誌には被葬者の名前、没年月日などがみられた。 ⇒「太安万侶の墓発見」のページへリンク |
||||||
古事記の編者・太安万侶の墓が比瀬町で茶畑の 改植中に発見。 墓誌には被葬者の名前、没年月日などがみられた。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
昭和54年 発見直後 濃い部分は在来の茶木、 疎らなところが新種へ改植済み この作業中発見。 ![]() 写真提供:竹西清氏 |
昭和54年1月24日 現場で 発見者の竹西英夫さんにカメラを向ける見学者 ![]() 写真提供:竹西清氏 |
1月24日 午前9時過ぎ、田原小学校4.5.6年生もさっそく社会科見学。 (橿原考古学研究所の前園技師より説明) 写真提供:奈良市立田原公民館 |
|||
昭和56年(1981)5月24日 第32回全国植樹祭 |
昭和57年(1982)5月1日 史跡文化センター完成 |
昭和58年(1983)3月10日 初の「市展なら」開く |
昭和58年(1983)10月5日 消防本部新庁舎完成 |
|||
平城宮跡に天皇皇后両陛下をお迎えし、天皇陛下がイチョウガシを御手植えされた。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和59年(1984)4月21日 中央公民館完成 |
昭和59年(1984)8月11日 特別史跡・特別名勝宮跡庭園復元完成 |
昭和59年(1984)9月1日 心身障碍者福祉センター「みどりの家」完成 |
昭和59年(1984)9月8日 わかくさ国体開催 |
|||
昭和59年5月2日 観光センター開所![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
奈良時代の庭園遺構を復元した。 59年9月から一般公開された。 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
59年に障碍者福祉の中核施設「みどりの家」(右)が完成。60年に福祉作業所、61年に体育館(左)、63年に温水プール完成![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
昭和60年代 | ||||||
昭和63年(1988)4月24日 なら・シルクロード博開催 |
||||||
奈良がシルクロードとの歴史的なつながりをテーマに国際的な文化博覧会を開催。会期183日間で来場客数680万人を越えた。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||||
平成時代 | ||||||
平成元年(1989)4月22日 ならまちセンター完成 |
平成元年(1989)7月14日 市青少年野外活動センター開所 |
平成元年(1989)8月16日 ならまつり開く |
平成元年(1989)10月27日 奈良工芸フェスティバル開催 |
|||
旧市庁舎跡地に完成 ならまちの町並み保存と活性化をめざした活動拠点。 元年6月20日 旧市立図書館は中央図書館として開設 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
初のならまつり![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
平成3年(1991)5月15日 野鳥の森開園 |
平成3年(1991)5月29日 勤労者総合福祉センタ開館 |
平成3年(1991)10月16日 布目ダム完成 |
平成4年(1992)4月14日 市写真美術館を開館 |
|||
野鳥とのふれあいを通して市民の交流を図ろうと総合福祉センター内に開園 平成21年2月閉園 ![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
大和路の風物を撮り続けた写真家故入江泰吉氏の作品を保存、展示。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
|||
平成4年(1992)7月17日 コミュニティー住宅完成 |
平成4年(1992)11月14日 市民サービスコーナーをならファミリーに開設 |
平成7年(1995)9月30日 第8回全国スポーツレクレーション祭「スポレクなら95」開催 |
||||
JR奈良駅周辺の都市拠点総合整備事業「シルクロードタウン21」計画の一つとして完成。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
開会式は鴻ノ池陸上競技場で行われた。![]() 写真: 市制100周年記念要覧「奈良」より |
||||
|