『平泉史学の神髄(続・田中卓著作集5)』

作成者
田中 卓
出版者
国書刊行会
刊年
2012.12

  著者の二度目となる著作集の第五巻は、著者の師匠にあたる平泉澄(1895-1984)を取り上げた文章を中心に編まれています。平泉というと、一般的には「皇国史観」の主唱者とみなされています。しかし、著者によれば、戦争中の時局便乗的な歴史観と、平泉の歴史観ははっきり区別すべきとしています。本書には、昭和期の政治に周辺から関わった平泉から、弟子である著者に託された貴重な文献を紹介するものも多く、平泉の歴史観のみならず、昭和史を知る上でも興味深いものになっています。
  本書の前半では、昭和11年の2・26事件との関わりについて触れた文章を集められています。平泉は、事件発生の翌27日に、急きょ上京中だった秩父宮に夜行列車中で面会しています。こうした行動は、当時の宮中などから、平泉は反乱将校に肩入れをしたのではないかと疑いを持たれる原因となり、戦後の歴史書にもそういった見方に立つものがあるといいます。これに対して著者は、平泉が当時付けていたメモをもとに構成した「孔雀記」を紹介し、平泉がこの事件のことを、勃発当初から行動においては許しえない反逆行為だと断じていたことを明らかにしています。一方で、平泉は反乱将校の精神は評価していたと、翌12年に当時の近衛文麿首相に、彼らの恩赦を求めた手紙の控えを紹介しています。そして著者は、実際に恩赦を実現しようとした近衛の施策に、この平泉の献言が影響を与えた可能性も示唆しています。
  本書を読んでいて気になるのは、昭和20年8月、日本降伏を阻止しようとしたクーデター「宮城事件」と平泉との関連です。この事件は2・26事件とは異なり、直接平泉の教えを受けた陸軍軍人も深く関わっているにも関わらず、著者はこれにほとんど触れていません。「まだ歴史になりきっていない」という判断から避けているのかもしれません。しかし、本書全9章のうち、新稿と平成20年以降執筆のものが過半を占めるなど、健筆を振い続ける著者にはぜひ、この事件についても歴史の証言を期待したいと思います。