大淀町学校支援地域本部戦争カルタ

解題

  今回紹介するのは、大淀町教育委員会の学校支援地域本部が平成22年(2010)に発行し、寄贈を受けた「戦争カルタ」である。今まで紹介してきた昭和初期に作られたカルタと異なり、 後世から振り返ってみた戦争である。実際の制作にあたったのは、大淀町で戦争語り部をしていた宮川米子氏(78)と前田晃宏氏(50、いずれも当時)。宮川氏が文を担当、前田氏が絵を 担当している。つまり、宮川氏は終戦時には10歳弱だったことになり、前田氏は直接にはまったく昭和の戦争を知らない世代である。宮川氏は、戦争の体験者が少なくなる中で、 戦争のときの具体的な生活や様子を知って、戦争の悲惨さを次の世代に伝えたい、という思いをこのカルタに託したという。

  内容的には、戦争中の生活と価値観を表すものがほぼ半々である。具体的なテーマとしては生活では物資欠乏を取り上げた札が11枚(う,え,く,し,て,ぬ,の,ふ,ほ,ゑ,れ)、 次いで多いのが空襲を取り上げた札が7枚(き,こ,す,に,ひ,も,よ)と圧倒的に多い。国内で戦時期を過ごした多くの人にとって、この二つが強く印象に残っていることが確認できる。 戦争中の価値観を表す札の中は、死生観をあらわすものが6枚(い,け,さ,と,め,り)、兵士への感謝を取り上げたものが5枚(あ,せ,つ,ね,へ)、 忠君を取り上げたものが3枚(お,は,ら)などと続いている。もちろん、こうした区分は便宜的なもので、複数の主題にかかわるものも多い。

読み札につけられた宮川氏の丁寧な解説はあるが、若干の補足をしておく。「あ」「ち」「へ」「ほ」等は戦時標語で、「父よあなたは強かった」はレコード化もされている。 「つ」の札にあるつづり方は作文のこと。「は」の札にある「宮城」は「きゅうじょう」と読み、解説にあるように皇居の旧称である。「ゆ」の絵札は、日露戦争に備えて八甲田山で 訓練を行い、多くの犠牲を出した事件(明治35年)を想起した。「れ」のれんげ畑は、必ずしも観賞用ではなく、田に植えて肥料とする目的もあった。

本かるたを制作、ご寄贈いただき、また今回の展示利用についても快諾頂いた関係各位に厚く御礼申し上げます。