あの日から70年 ~追想の8.15

解題

昭和20年(1945)8月15日正午、昭和天皇の玉音放送によって太平洋戦争の終結が告げられてから、70年が経過しようとしている。70年間という年月は、日本人の平均寿命や、明治維新から終戦までの年月よりは約10年程度短いだけであり、その時の記憶を持つ者は少なくなりつつある。戦争体験は、もはや実感としてではなく、歴史資料として残すべきことに力を注ぐべき時期に来ているように思われる。

近年、毎年8月15日を「終戦の日」とすることに異議が唱えられている。例えば、色摩力夫は『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(黙出版、2000)で、江藤淳の提起した、軍隊と政府の降伏を区別する立場から、この問題を論じる。佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書,2005・増補版ちくま学芸文庫,2014)は、8月15日を終戦記念日とする習慣は、終戦後10年間のなかでやっと定着し、以後連年の報道の中で年中行事化していったことを論証している。

これらにも指摘されている通り、玉音放送のもととなった詔書は8月14日付であり、ミズーリー号上の写真で有名な降伏文書の調印は9月2日である。また、「8.15」が国際的視野に欠けるという指摘ももっともである。加えて、沖縄戦や「満州」でのソ連参戦、あるいは広島・長崎での被ばくを経験した人にとっても、より重みのある日は異なるであろう。

しかし、『八月十五日の神話』の論証が正しいことを認めつつも、何十年間もの間、特別な日として扱われ続けてきた積み重なりの重みは、無視しえない。今回、市民の追想記集を集めていて、本のタイトルに「8月15日」と入っていても、内容は、しばしば、戦争体験一般であるケースが多いことに気が付いた。展示図書としては、ある程度、手記の内容が玉音放送を軸に、当日の記憶を中心に編集されたものに絞り込んでいったが、もちろん、展示図書以外にも「終戦の日」の記憶を追想するものが含まれていることは付記しておきたい。

本冊1-4頁では、作家等による追想、作品を示した。漢字は新字に直したが、仮名遣いは底本のままとしている。亀井勝一郎の熱く情感に訴える文章と、津田左右吉の冷静なそれは、世代の違いもあろうが、両者の文筆活動の傾向をも反映して、好対照をなしている。小松左京によるものはあくまでもフィクションであるが、戦争中に育ち、当日に受けた衝撃の大きさを伝えているものとして取り上げた。宮脇俊三の文章は、「時は止まっていたが汽車は走っていた」のフレーズでよく知られているものである。

展示ケース内の8月15日付新聞原紙は、正午の玉音放送が終わるまで、配達が差し止められていたもので、当日の午後に配布された。当時新聞は一県一紙に統合されており、奈良県内では「奈良日日新聞」が発行されていたが、残念ながら当館で当日のものは欠号となっている。

また、受領証が残っていることで珍しい、当館所蔵召集令状(下)は、正午の玉音放送直後にこれを本人宅へ届けた村役場兵事係が、受領証を持ち帰ることをためらったがゆえに本人宅に残ったものである。