空襲と疎開

太平洋戦争後期、本土空襲が時間の問題になって、本格的に疎開が実施された。疎開の目的は、防空や生産に関係の少ない老人や婦女子を都市から遠ざけ、本土決戦を貫徹することにあった。
疎開は、はじめ親戚の家に個人的に疎開する「縁故疎開」が主だった。しかし昭和19(1944)年から、大都市の国民学校初等科の児童を集団的に疎開させていった。集団疎開した学童数は約46万人と推定されている。
疎開先は農山村や地方都市の社寺・旅館・寮舎などを利用した。
疎開すると、生徒たちは食糧や薪炭の調達に使われ、教職員は生活物資の収集に忙しく、授業どころではない場合も多かったといわれている。

出版日付: 昭和19(1944)年
出版日付: 昭和20(1945)年