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神戸空襲で家を失った女学生(14歳)の日記

家を失った辛さや、明日に向って生きようと心に誓いながらも何を信じれば良いのかわからない複雑な胸のうちが綴られている。

3/17
一生忘れることの出来ないあの日から、もう一年がめぐって来た。思へば本当に悲しい情けない思ひをした一年だった。今頃焼けてなかったらどんなに幸せだらうと、幾ら運が悪かったのだとあきらめてもあきらめても、あきらめきれない。あっ、あれもあった、これもあったと思ふたびに腹が立って涙が出てくる。忘れやうとしても忘れられない。去年も寒くて、学校の前の水源地へ逃げた時も、頭からかぶった水が氷り、おふとんも、かちかちになり、雪まで降った。今、家がなくて困るなんて、情けない事だ。焼けるまでは、本当に幸せだったのに…でも、湯本さんのやうに、家族の方が戦災死されたことを思ふと、まだまだ幸せだ。烈しい空襲にも家族無事だったことを喜んで、これからも元気に、朗らかに、新日本再建を目ざして生き抜いて行かう。
5/20
学校へ行きがけに、橋の下で、父子だらうか、復員者風の、あかだらけのぼろぼろの服を着た人が十一二の男の子の肩につかまり、杖をついて、ひょろひょろと歩いてゐる姿がとてもあはれなので思はず涙が出て来た。
6/5
今日は六月の五日、思へば去年の今日は、あの神戸大空襲の日であった。あの時の恐しさを思ひ出せば、今でもぞっとする。一体、人を殺したり家を奪はれたり、戦争をして、何の利益があるのだらう。本当に戦争といふもののばからしさをつくづくと感ずる。
6/6
二時間目の書道の時、持ち物の検査があった。数日前、幾度目かの進駐軍の厳命が下ったさうでノートと今度発行された教科書、辞書以外は決して学校へ持っていけない。
6/30
〔隣のおばさんが誰かいると言ってきた。〕父が捕まへてゐるのをみると、まだ小さい男の子だ。年は十で、家がなく、家族もないといふ。じっとみてゐると涙が出て来た。みんな戦争が作ったことだ。まだ十だといふのに、人に追はれながらねぐらを探してゐるとは。
11/16
戦争中はまだ勝つといふことに、この上もない生がひを感じてゐた。しかし、かうなった今日、一体、人間は何のために生きてゐるのかと思ふことがよくある。日本再建、この目標はしっかと心にきざみつけてゐるはずだ。さう自分で思ってはゐても、それが何だか遠い、不自然なもののやうな気がして、考へに苦しむことがある。こんなことを考へるのはいけないことだらうか。けれども、日本人として、これから一体、どうなってゆくのかと思ふと暗然たる気持になることがある。或る一面からみれば、どうしてもそんな気持ちにならざるを得ない。
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