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神戸大空襲
「火垂るの墓」の舞台

神戸には川崎造船所、三菱造船所、神戸製鋼所などの軍需工場が多くあり、艦船、航空機などの兵器が製造されていました。また、国際貿易港として軍需輸送の中心地でもあり、戦時経済で大きな役割を果たしていました。そのため神戸は爆撃の標的となり、三度の大規模な空襲がありました。1945年(昭和20年)3月17日、5月11日、6月5日です。

3月17日の空襲では、約300機のB-29により3万個を超える焼夷弾が投下され、市の西半分が壊滅しました。

6月5日には約480機のB-29が来襲。市の東半分と残りの地区をくまなく爆撃し、3000人以上の方が亡くなりました。「火垂るの墓」で兄妹の家が全焼し、母を亡くした空襲はこの日の空襲がモデルとなっています。

山と海にはさまれた斜面の街である神戸は、火が広がりやすく、五大都市中の被害率は最高で、千人あたり47.4人の死傷者がでたとされています。

こうして、神戸は8月に終戦を迎えるまでのわずか半年の間に空襲によって壊滅しました。約3600機の爆撃機が神戸に投下した爆弾は11万3000個。これにより、死者8000人以上、重軽傷者約1万8000人、全焼全壊約15万戸、被災者約59万人という大きな被害が出たのです。

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