
戦後の学校
終戦の混乱の中から再出発した学校では、戦前・戦時中の軍国主義的教育が一掃され、新日本建設のために平和や民主主義を基調とする教育が始められました。

墨塗り教科書
終戦直後に国民学校の授業が再開されると、文部省の指示により、軍国主義的な部分は墨で塗ったり、切りとったりして使われた。

戦後につくられた教科書(昭和21〜22年)新憲法、民主主義を学ぶために新しい教科書が使われた。
伊勢地方への修学旅行 1946年(昭和21年)
月日 | 発着地名 | 発着時刻 | 視察地 | |
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1 | 12月22日(日) | 8時00分 | 近鉄上六集合 | |
上六発 | 9時00分 | |||
松坂着 | 11時30分 | 鈴ノ屋(本居宣長旧宅) | ||
松坂発 | 13時30分 | |||
宇治山田着 | 14時00分 | 神友神社乗換 | ||
二見着 | 15時00分 | 附近探勝・宿泊 | ||
2 | 12月23日(月) | 二見発 | 9時40分 | 鳥羽へ |
鳥羽着 | 9時50分 | 志摩鉄乗換 | ||
賢島着 | 11時00分 | 附近見学・真珠養殖場等 | ||
賢島発 | 15時00分 | |||
鳥羽着 | 16時30分 | 宿泊 | ||
3 | 12月24日(火) | 9時00分 | 鳥羽見学・鯛池等 | |
鳥羽発 | 12時55分 | 省線 | ||
天王寺駅着 | 18時35分 | 解散 |
冬休みを利用して実施された2泊3日の修学旅行。戦前には多くの学生が訪れた伊勢地方への旅行であるが、この時の見学先はほとんどが景勝地であった。3日目には予定を変更して伊勢神宮近くの神宮農業館の見学をしているが、ここまで来たにもかかわらず伊勢神宮には参拝していない。
通知票の変化
連合国軍の占領下の1947年(昭和22年)3月31日、教育基本法とともに学校教育法が公布され、翌4月1日より施行されました。 これにより、戦時中の学校令は廃止され、6-3-3-4制を基本とする学校体系に改められました。

昭和21年度

昭和22年度

昭和23年度
毎年度通知票の様式が変わっている。昭和22年度の通知票の表には、「新しい教育制度になり個性尊重自主性を重んじる教育」へと変化したことが書かれている。評価も優良可からabcへ
