大阪女子師範学校修学旅行アルバム(その2)
北京に遷都される以前の清朝の首都として発展。遷都後も副都の扱いをうけた。日露戦争中には奉天会戦が行われている。1931年には奉天郊外の柳条湖付近の満鉄線を日本軍が爆破、中国軍による攻撃として奉天をはじめとして全満州を占領(満州事変)。翌年満州国の建国を宣言した。

清朝第二代皇帝太宗の陵墓「北陵」

奉天の街角

馬車で移動

満州事変記念碑 「爆破地点」とある
19世紀末、ロシアが中国より租借権を得て開発。日露戦争後に、日本がロシアより租借権を譲り受け、国際貿易港として整備した。満鉄の本社も置かれ、「満州の玄関」と称された。

大広場 大連の中心部に位置する広場。市街地の道路はこの広場から放射線状に伸びている。写真正面の建物は横浜正金銀行大連支店(現:中国銀行大連支店)。その他、大連ヤマトホテル、警察署、市役所、領事館が建てられ、「大連の心臓」と呼ばれた。

連鎖通り

定期船の出帆風景
19世紀後半、清の海軍の根拠地となり、日清戦争で、日本軍が占領。その後、ロシアの租借地となったため日露戦争でも激戦地となった。日露戦争後は、日本の租借地となり、軍事的拠点として発展した。

爾霊山忠魂碑(203高地) 日露戦争最大の激戦の地爾霊山は乃木希典が203の音を漢字にあてたもの

望台砲台

白玉山表忠塔 日露戦争の戦没者慰霊のために建てられた高さ65.4mの白塔。満鉄カレンダーでも描かれている。

水師営 停戦条約締結の場所
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