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大阪女子師範学校修学旅行アルバム(その1)

アルバムには満州、朝鮮で撮影された写真や絵葉書、記念スタンプなどが収められています。旅行の栞によれば写真係の生徒が3名おり、彼女たちが写真を撮影したと思われます。

このページではその内容をご紹介します。日付部分をクリックするとその都市の写真や絵葉書を見ることができます。画像の掲載順は基本的にアルバムに貼られた順番ですが、見やすさを考慮して一部順番を変更してあります。

5月15日 京城(現:ソウル)

釜山を発して京釜線十一時間、あこがれの京城へ。「龍山々々」といふ駅員の声に発射的に首を出すと、なつかしい兄さん姉さん、それに子供達が私をにこやかに待ってゐてくれた。唯うれしくて、何からいってよろしいやら。旅館で一時間程まっていただき、龍山の家へ行きました。(中略)一時間の自由時間は知らぬ間にすぎました。

(女学生が家に宛てた手紙より)

※姉夫婦が京城の龍山に住んでいたため、自由時間を使って家を訪問している。

5月16日 平壌(ピョンヤン)

 今日は平壌の都、その昔、楽浪時代が偲ばれました。博物館では二千年前の楽浪時代の文化をまざまざみ、又、牡丹台に上って眺望し、日清戦争を偲びました。牡丹台よりの眺めはとても美しい。有名な大同江を舟で下り、妓生さんの歌声を巧みなメロデーにして美しい大同江を下りました。

(女学生が家に宛てた手紙より)

5月17日 満州国入国

平壌を出発。列車で鴨緑江(国境となる河川)を越えて満州国へ入国。

国境を越えたとたん急に内地が恋しくなりました。鴨緑江はとても趣深い真黒い水です。新興満州国は紺の満州服で彩られています。列車の中も満州人と漢人ばかりで気味悪いものです。でもカーキ色の皇軍の兵隊さんをみると、とてもうれしいなつかしい力強いものです。車外は一面の平原…

(女学生が家に宛てた手紙より)

5月18日 撫順

炭鉱見学
撫順炭田は満鉄の重要財源となった。
撫順炭田の風景

5月19日 新京(満州国首都、現:長春)

ほぼ更地の状態から日本が資本を投入し、開発したため道路・水道等の設備は日本国内よりも立派に整備されていた。

みずみずしい緑樹、道路の幅六〇米(メートル)それが真直、各方向に伸び、二里(8q)前方のものが見渡される。大きな建物ばかり。帝国政府各部の建物も囲をとればよいばかりに立派に出来てゐる。帝国建国されて五ヶ年、かくも立派になったものと驚いてばかり。

(女学生が家に宛てた手紙より)

新京駅周辺の風景
新京駅
国務院(満州国国政の最高機関)の外観
国務院(満州国国政の最高機関)

5月20日 ハルビン

19世紀末にロシア人によって建設された都市。鉄道交通の要衝で あったため国際都市として発展。伊藤博文が暗殺された地でもある

あこがれのハルピン 露人の往来する、支那人満人、二ヶ国の人種往来する雑踏の中を私達が歩くのです。間違いそうです。アメリカか上海の国際都市を歩くやう。キタイスカヤの人並みをくぐって顔をみくらべながら映画館につれていただいた。トーキーは露語、傍註は日本語、満州語三ヶ国の言葉が明滅する。

(女学生が家に宛てた手紙より)

※映画の音声はロシア語字幕は中国語と日本語で映画館の中で三ヶ国語が入り乱れている様子が記される

ハルビン, キタイスカヤ街の様子
キタイスカヤ街
聖ソフィア聖堂の尖塔
聖ソフィア聖堂
ハルビン街頭のロシア人少女
ロシア人少女
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