月ケ瀬ダム竣工50周年記念 昔の月ケ瀬写真パネル展より  写真提供:月ケ瀬観光協会   

昭和43年(1968)ダムが完成して50年。完成前の月ケ瀬風景写真を展示された。
写真コンテストの作品が中心。参考文献:「月ケ瀬村史」
 明治10年代 奥の谷梅林
(現在の湖畔の里、二又川の間周辺)

水没前の奥の谷梅林の県道を尾山方面へ散策する観光客。この辺りは当時旅館、茶屋も多く近くに五月川が流れ観光客で賑わった。
 樹齢500年とも言われる「白髭の梅」もこの辺りにあり、平成13年「湖畔の里つきがせ」に植え替えられた。
(絵はがきより)月瀬風景 奥の谷梅林(其の一)

 初代 月瀬橋 明治29年


125年前の明治26年(1893)7月月瀬橋が掛けられた。橋床は木造だったが明治28年石積の橋脚に修理された。
写真は翌年消防組の出初式を嵩側から撮影。茅葺の家は明治23年設立した月瀬保勝会の建物と思われる。
 写真提供者:北本義富氏 

 明治中頃 
一目万本「芭蕉の句碑」


  湖畔沿い県道に看板があるが、月瀬坂を少し上がると「一目万本」と「芭蕉句碑」がある。
句碑には「春もやや けしきととのふ 月と梅」
(絵はがきより)

 明治中頃 八幡山(向山) 


通称 向山(むかいやま)と呼ばれる。広い畑がある。この辺りに、昭和44年八幡橋が掛けられた。当時は船で畑に行っていた。
写真右下奥に渡し舟、旧県道民家が見える。(奥の谷梅林辺り)

大正年代中頃
 二代目月瀬 橋周辺


大正8年(1919)二代目月瀬橋完成。
木造でアーチは白塗り、欄干は朱塗りで渓谷に映えて美しかった。
五月川では屋形船が浮かび釣り遊びに興じる観光客。・
写真提供:北本義富氏
 昭和6年(1913)
新渡戸稲造一行が観梅

(新渡戸稲造は右端)





写真提供:稲葉耕一氏
昭和30年代前半
代官坂登り口付近


梅の花も満開の代官坂バス停付近
(尾山十六勝の看板があり、登り口)
丸みを帯びたボンネットバスも見える。この辺一帯も水没した。 
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
 昭和30年代前半
代官坂中段


代官坂より三代目月瀬橋、嵩、月瀬方面をを望む。
対岸に水没前の嵩、桃香野方面へ向かう県道。茅葺の民家その上には月瀬へ上る細い道、段々畑が見える。手前は代官坂を上る観光客。この辺りまでまで水没した。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
昭和30年代前半
帆浦梅林


渓谷斜面に手つくりの観梅床、ぎっしりの観梅客。大阪場所の関取も訪れ、観梅床はきしんだ。地元の野菜、山菜と朝つぶした地鶏の月ケ瀬なべが飛ぶように売れた。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
昭和30年代前半 
帆浦梅林


梅まつり期の観梅道、着物姿、ネクタイを締めた観光客がほとんどであった。小学生、中学生も多く訪れた。茶店は加工した、瓢箪を中心に梅干し、梅しそ巻等のお土産を販売していた。
梅林の中にはまだお茶畑が残っている。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
 昭和30年代前半
帆浦梅林


帆浦梅林観梅道での写真撮影会の一枚。茶屋の観梅床はどこも満席だった。右端に三重交通時刻表、観梅床に盆梅が見える。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより


 昭和30年代前半
帆浦梅林


写真コンテスト撮影会の様子。当時はモデルを呼んで撮影会を催し、多くのカメラマンであふれた。一眼レフカメラも普及し始めた頃だった。 
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより


 昭和30年代前半
帆浦梅林


帆浦梅林観梅道を おおこ(天秤棒)で弁当を運ぶ茶屋の従業員
当時は木製の折箱弁当で、竹籠に入れおおこで観梅客に運んだ。大人気であった。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
 昭和30年代後半
現行政センター前駐車場


写真奥に園生の森、その手前昔の診療所が見える。昔の小学校、中学校のグランドで、左下 に校門が見える。
ぎっしり停められた観光バスは多い日には150台来た。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
 昭和30年代後半
天神梅林


満開の梅の木の下で、蓆(むしろ)をしき弁当を広げ宴会をする観光客。ビール瓶にや空になった一升瓶が見える。賑やかな宴会の光景はあちらこちらで見られた。 
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
昭和30年代後半
三代目月瀬橋周辺


二代目老朽化に伴い昭和 十年(1935)鉄筋コンクリートの三代目を着工、翌十一年観梅期の前に完成した。四連半円形の名勝月ケ瀬に調和した橋だった。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
 
 昭和40年代前半
四代目月瀬橋工事現場


昭和41年ダム本体工事定礎式、四代目月瀬橋は昭和43年に竣工、翌年八幡橋完成。月ケ瀬観光会館も完成し新しく生まれ変わろうとする月ケ瀬の姿。


昭和40年代前半
ダム工事に伴う梅木移植

昭和41年頃よりダム工事開始、それに伴い梅の木の移植も進められた。一本一本丁寧に掘り起こされ古木中心に全部で3800本が天神梅林周辺等に移植された。将来の観光資源として、桜、もみじも植えられた。 


昭和40年代前半
帆浦梅林周辺


帆浦梅林から、嵩、山添方面を望む。写真コンテストでの撮影会、モデル中心に参加者カメラマン達。
五月(名張)川はまだ流れており名阪国道五月橋に通じる県道もまだできていない。昔のままの五月川。
名阪国道は昭和40年に、西名阪は同43年に開通した。 
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
昭和45年頃(1970) 
観梅道入口小谷商店前


大正11年内務省より名勝に指定された石標がある。(なぜか内務大臣指定大正9年と記されている)
まだ砂利道だった坂道を上る観光客、女性はミニスカートにハイヒール姿も多かった。坂道の舗装は昭和50年(1975)以降となる。
写真提供:観光協会主催
 写真コンテストより
   月ケ瀬の梅林風景  月ケ瀬観光協会 所蔵写真
月瀬梅渓
一目万本台より尾山を望む

絵はがき(大正末期から昭和初期発行)
月瀬風景
桃ケ野 渡舟場
絵はがき

月瀬風景
桃ケ野 不動の瀧

絵はがき
月瀬風景
不動滝梅林
絵はがき
昭和40年代前半
ダム工事に伴う梅木移植
昭和40年代前半
ダム工事に伴う梅木移植
月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年) 月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年) 月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年)
月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年)
月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年)
月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年) 月ケ瀬橋第3代(昭和11年~昭和43年)
昭和32年(1957)3月   月ケ瀬 帆浦梅林     撮影:福川美佐男氏
 
撮影:福川美佐男氏
 
撮影:福川美佐男氏
 
月ケ瀬観光協会所蔵 福川美佐男氏撮影
 
平成21年(2009)3月7日 月ケ瀬 帆浦梅林     撮影:福川美佐男氏
       
       
   
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