氷室神社 和銅三年(710)氷室の鎮守として水谷川の上に祀った。 貞観二年(860)に今のところに遷座 |
||||||
大正初期の氷室神社 写真:奈良名勝写真帖より(発行:大正4年) 奈良県立図書情報館蔵 |
||||||
平成11年(1999)4月4日 氷室神社の枝垂(しだれ)桜
氷の神様を祀る「氷室神社」奈良でも最も早く開花し「奈良の一番桜」とよばれるシダレ桜。 写真:河本 |
||||||
平成19年(2007)5月1日 氷室神社 献氷祭 写真:河本 岩「月日磐(つきひいわ)」に「氷神」をお祀りしたことをその創建の由緒としていますが、その後月日磐には「氷室」が設置され、冬の寒さで造り上げた氷を保存し、夏にかけての時期に平城宮(宮中)に氷を献上するという儀式が奈良時代には行われていた。 |
||||||
鯛や鯉の氷柱 |
舞楽 |
|||||
率川神社(子守神社) ユリ祭り 昭和37年(1962)6月17日 写真:岡田庄三氏 | ||||||
三輪神社の摂社 | ||||||
平成19年(2007)6月17日 率川神社 ゆり祭 写真:河本
|
||||||
平成19年(2007)4月19日 漢国神社境内にある林神社 写真:河本 日本饅頭の発祥の地 日本で初めて饅頭を作ったという林浄因の命日に因んだ祭。 |
||||||
漢国神社(かんごうじんじゃ) |
漢国神社(かんごうじんじゃ) |
林神社の饅頭まつり |
林神社の饅頭まつり |
|||
傳香寺 散り椿と裸地蔵 |
||||||
筒井順慶の慈母芳秀尼が発願して建立。天正10年(1585) 散り椿:花びらが美しいうちに花弁が一枚ずつ散る。(普通の椿は花の形のままポトリと落ちる) 普通の椿は首から落ちるので縁起を担ぐ人もいた。武士椿(もののふつばき)とも呼ばれ「奈良三名椿」のひとつ。 裸地蔵尊:一糸まとわぬ裸形で、平素は麻の衣をお召しになっている。秘仏であるが毎年7月23日に開帳し御着せ替えをする。 |
||||||
伝香寺界隈 昭和46年(1971)6月 撮影:厚見昌彦氏 | ||||||
伝香寺由留木地蔵尊 |
||||||
伝香寺由留木地蔵尊 |
伝香寺本堂 |
伝香寺本堂 |
||||
伝香寺と伝香寺橋の昔 写真提供:伝香寺 | ||||||
率川は伝香寺の所で鍵型に曲がっていたが、「やすらぎの道」が出来た時に暗渠となり、率川に架かっていた伝香寺橋と伝香寺表門石橋が取り壊された。 |
昭和28年頃伝香寺前より 率川と伝香寺橋 写真:伝香寺 |
昭和35年頃 伝香寺橋の親柱 写真:伝香寺 |
現在平成24年 伝香寺境内に残る伝香寺橋の親柱 |
|||
大正13年石橋竣工式 伝香寺表門前の率川にかかる石橋(大正13年に架けられた石橋) 老人会の皆様 下を流れるのは率川 昭和35年から始まった道路拡張工事で取り壊されて、川は暗渠となって昭和37年にやすらぎの道が完成した。 写真:伝香寺 |
昭和28年幼稚園第一回花祭り 伝香寺表門の率川にかかる石橋 写真:伝香寺 |
昭和35年頃 表門内側から率川にかかる石橋方向 写真:伝香寺 |
現在平成24年 表門(県文) 手前の階段部の石は石橋の石を活用 |
|||
表門石橋は昭和35年やすらぎの道工事で解体され親柱、欄干などが寺内に残る |
「大正10年老人会」の文字が見える | |||||
昭和52年4月(1977) 撮影:福川美佐男氏 率川橋(長幸橋)石標 川は暗渠になっている |
||||||
平成21年(2009)3月15日 傳香寺の椿(散り椿)奈良三椿の一つ 写真:河本 花びらがはらはらと散ることから「散り椿」と言われる。 花が首からポロリと落ちる普通の椿は武士に縁起が悪いのに対しこの椿は「武士椿(もののふつばき)と呼ばれる。 |
||||||
散り椿 |
散り椿 |
散り椿 |
||||
散り椿 |
順慶堂の筒井順慶坐像 |
散り椿 |
散り椿 |
|||
傳香寺 中門 |
傳香寺 表門 | |||||
元興寺 昭和46年(1971)6月 撮影:厚見昌彦氏 | ||||||
元興寺極楽坊本堂 |
元興寺極楽坊本堂 |
元興寺極楽坊本堂 |
||||
元興寺 四季の移ろい 写真撮影:福川美佐男氏 | ||||||
昭和59年(1984)6月下旬 初夏の史跡元興寺塔跡 |
平成13年(2001)10月31日 史跡元興寺塔跡門前 |
平成23年(2011)4月9日 桜花咲く史跡元興寺塔跡 |
平成23年(2011)4月9日 桜花咲く史跡元興寺塔跡 |
|||
平成18年(2006)6月20日 初夏の史跡元興寺塔跡 |
平成19年(2007)11月18日 秋の史跡元興寺塔跡 |
平成19年(2007)11月18日 秋の史跡元興寺塔跡 |
平成20年(2008)2月3日 淡雪の史跡元興寺塔跡 |
|||
元興寺地蔵盆 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成22年 (2010)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成23年 (2011)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成24年 (2012)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成26年 (2014)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成27年 (2015)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成28年 (2016)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成29年 (2017)8月23日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
元興寺地蔵盆 平成30年 (2018)8月24日 写真撮影:大西瞳氏 | ||||||
雨寶山 十輪院 | ||||||
十輪院:元興寺の一院。 右大臣吉備真備の長男である朝野宿禰魚養が開基。魚養塚(御影堂の奥) 本尊は石仏龕のお地蔵様。本堂は弘法大師造立。 |
||||||
「十輪院絵葉書」 昭和8年以降 写真提供:成瀬匡章氏 | ||||||
№2981 畳紙(№2973~2980) 「十輪院絵葉書」 |
№2973 國寶 南門 (十輪院) |
№2974 國寶 禮堂正面 (十輪院) |
№2975 國寶 禮堂構造 (十輪院) |
|||
№2976 國寶 蟇股 (十輪院) |
№2977 國寶 石龕地蔵釋迦彌勒 (十輪院) |
№2978 護摩堂及玄關 (十輪院) |
№2979 庭園 (十輪院) |
|||
№2980 國寶 不動明王 (智証大師作) (十輪院) |
№2973~2980 宛名面 |
|||||
昭和46年(1971)6月 撮影:厚見昌彦氏 | ||||||
十輪院石像合掌観音立像 |
十輪院興福寺曼荼羅石 |
|||||
十輪院不動明王像 |
十輪院本堂 |
十輪院庭園 |
||||
平成21年(2009)3月15日 豊成山 高林寺とその周辺 写真:河本 藤原豊成郷(中将姫のお父さん)の屋敷跡 中将姫:父は藤原豊成。奈良町に邸宅があった。中将姫ゆかりの寺が四つある。 |
||||||
徳融寺 このお寺は中将姫の父親である藤原豊成の邸宅跡に建っているとされているほか、中将姫が生まれ育った地という伝説にちなんだスポットが境内にあり、 豊成と中将姫の2人をお祀りした石塔(墓所)なども設けられています。写真:河本 |
||||||
徳融寺 山門 |
参道 | 鐘楼 |
||||
本堂 |
本堂 |
豊成公中将姫御墓 |
右が藤原豊成公の墓 中央:四方石仏 左が中将姫 宝篋印塔。 |
|||
右が藤原豊成公の墓 中央:四方石仏 左が中将姫 宝篋印塔。 |
吉村長慶の石造物 |
吉村長慶の石造物 | 吉村長慶の石造物 裏面 |
|||
雪責めの松 向う築地塀下に昭和49年頃まで松の切株が存在していた。 |
雪責めの松 |
|||||
誕生寺 中将姫が生まれた場所に建つ誕生寺。 本尊は中将姫の像で、本堂の裏に中将姫の産湯の井戸がある。住職さんの鉦鼓を打ちながら唱える「中将姫涙和讃」 |
||||||
高林寺 父豊成のお墓があり、豊成と中将姫が並んで描かれた絵も伝わる。 江戸時代に寿保尼が律院として中興した尼寺。 写真:河本 |
||||||
西光院と裸の仏様 二十日大師 「はだか大師さん」 |
||||||
璉珹寺(紀寺) 開基は行儀菩薩 本尊は裸形阿弥陀如来様 毎年五月にだけご開帳。 頭髪は螺髪でなく縄を巻いたように表され「生身の仏」(本物の仏様)を表す。 右手は胸の前にあげて、手のひらを外側にむけて「だいじょうぶ、心配しなくていい」と語りかけている。 左手は下におろし親指と人差し指で輪をつくり、極楽浄土からお迎えに来ていることを示す。 上半身は裸。下半身も裸で本物の袴でおおわれている。 上東門院(藤原道長の娘の彰子)の「御願」でつくられた。 参考文:「語りだす奈良118の物語」西山厚著より |
||||||
御霊神社 本殿に祀られているのは井上皇后と他戸(おさべ)親王。(第49代光仁天皇の皇后と皇太子) 藤原百川らの陰謀で廃位。 |
||||||
平成21年(2009)11月9日 慈眼寺 写真:河本
|
||||||
慈眼寺 |
慈眼寺 |
慈眼寺の柿木 |
慈眼寺の柿木 柿木としては珍しい巨樹 |
|||
慈眼寺の柿木 |
佐保川の旧水門 | |||||
|