なくなった学校

学校跡地の風景や、よみがえる学校の写真が、地域の歴史、文化、社会などを物語っています。

1960年以降の経済の高度成長に伴う農山村の過疎化と最近の少子化により、児童・生徒数減少した。
1970年以降、紀伊山地(奈良県)を、学校跡地の踏査を行った。特に1965年から1995年までの当時の写真を掲載いたします。
 そのなかにも、地域活性化に努めて、設備を活用し、現在も利用されているものもあります。

                                                       写真撮影:西田博嘉氏

 五条市大塔村   
中原小学校     1969年阪本小学校へ統合
撮影:1974年5月 もう児童の姿はない。 数年前(1969)に児童が2人になったため5㎞先の阪本小学校に統合された。
中原川流域の標高660メートルの山腹に立つ
門票が取り外されている
 永盛小学校 
 1975年辻堂小学校へ統合
  天辻小学校 
1977年辻堂小学校へ統合
 
       
 惣谷小学校   1985年辻堂小学校へ統合 篠原小学校  1985年辻堂小学校へ統合

玄関

校舎

掃除当番票が残っていた
 阪本小学校   1987年辻堂小学校と統合し大塔小学校へ

天辻峠より
左上の斜面の建物が学校で、手前は猿田にダム

斜面の校舎
 吉野郡天川村   
 庵住小学校   1972年和田小学校と統合し天川西小学校に
閉校になってしばらくしての撮影。  この近辺は現在「天の川青少年旅行村」となっている。
 塩野小学校  1982年休校、1988年天川西小学校へ    
       
 吉野郡野迫川村   
弓手原小学校 
1984年休校
  桧股小学校 
1984年休校
 
       
 北今西小学校
1990年休校
 野川小学校  
2004年北股小と統合し野迫川小学校へ
 
   
 吉野郡十津川村   
川津小学校    1963年閉校
 風屋ダム建設により水没したため1959年現在地に建てられたが、ダム建設で児童数が減り、1963年閉校となる。
1964年ころよりユースホステルに転用されたが、1982年にはユースホステルはなくなり、集会所に転用。
今、旧川津ユースホステルの庭の一角に幕末の天誅組の梅田雲浜顕彰碑と野崎主計の石碑が立つ。

校舎・運動場・手前はプール
 内原小学校   
       
 武蔵小学校
1969年閉校
葛川小学校  2006年閉校
 撮影;1986年  
       
 五百瀬小学校   2006年上野地小学校へ統合
       
吉野郡下北山村    
池原小学校  1989年統合により下北山小学校へ    
       
上北山村    
 西原小学校 1982年上北山小学校へ統合    
 1983年撮影 休校翌年、休校中に開かれた西原区民運動会会場に    
東ノ川小中学校 1969年休校、1998年閉校
 吉野郡東吉野村   
 八幡小学校  1977年三河小と統合し四郷小学校へ  
 東吉野村が友好都市「大阪府堺市」との交流拠点「ふるさと村」ビジターセンター」に。
100年前に建てられたクラシックな校舎は現在も活用されている。
四郷川の渓流と深い緑に包まれた自然卿。
 
 吉野郡川上村   
 川上第一中学校   1981年統合により閉校
 閉校後5年間はそのまま土木工事の作業員宿舎などとして使われた。
昭和62年(1987年)には現施設「トントン工作館」が完成。
地場の吉野杉を利用し親子で楽しめる木工体験工房。 文部科学書の「廃校リニューアル50選」に選ばれている。
 1990年8月撮影 「トントン工作館」として写っている。
   
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