奈良市 なら町(北部) | |||||||||||||||||
登大路町日本聖公会 奈良基督教会 日本聖公会奈良基督教会は、1885(明治18)年に大阪の聖公会宣教部がアメリカ人伝道者ジョン・マキム牧師を派遣したことに始まります。 その2年後に現在地の近くに教会を開き、1909(明治42)年に現教会の土地を購入し、本格的な会堂建設の計画を進めました。 日本聖公会奈良基督教会会堂(礼拝堂)は、1928(昭和3)年に工事に着手し、1930(昭和5)年に竣工しました。 設計及び施工は、奈良県内で古社寺修理の経験をもつ宮大工大木吉太郎(おおき きちたろう)氏(明治20〜昭和46年)の手によって行われております。 隣接する親愛幼稚園舎は、当初は教会の会館として計画されておりましたが、竣工間際に幼稚園舎として使用することとなりました。 1929(昭和4)年12月に竣工し、翌4月から親愛幼稚園として開園いたしました。 教会会堂は昭和5年(1930)建築。純粋な和風意匠を採用、瓦屋根に十字架がある。昭和初期の近代和風建築として高い価値がある。 |
|||||||||||||||||
新築の奈良基督教会 昭和5年4月29日聖別式の日 日本聖公会奈良基督発行 絵はがき提供:成瀬匡章氏 |
|||||||||||||||||
4518 畳紙(4506〜4517) 「新築の奈良基督教會」 ![]() |
4518裏面 昭和5年4月29日聖別式の日 日本聖公会奈良基督発行 ![]() |
4506 奈良基督教會正門 Front view of Christ Chureh,Nara ![]() |
4507 奈良基督教會定礎式 Laying the foundation of Christ Chureh,Nara ![]() 参考:定礎式は昭和3年(1928)7月1日 |
||||||||||||||
4508 奈良基督教會の内部 Interior of Christ Chureh,Nara ![]() |
4509 奈良基督教會北門 Christ Chureh,Nara ![]() |
4510 奈良基督教會及會館 Christ Chureh and the parish house,Nara ![]() |
4511 奈良基督教會 Christ Chureh,Nara ![]() |
||||||||||||||
4512 奈良基督教會 Christ Chureh,Nara ![]() |
4513 奈良基督教會及會館 Christ Chureh and the parish house,Nara ![]() |
4514 奈良基督教會及會館 Christ Chureh and the parish house,Nara ![]() |
4515 奈良基督教會 Christ Chureh,Nara ![]() |
||||||||||||||
4516 奈良基督教會 Christ Chureh,Nara ![]() |
4517 奈良基督教會 Christ Chureh,Nara ![]() |
4506〜4517宛名面![]() |
|||||||||||||||
登大路町日本聖公会 奈良基督教会 昭和5年(1930)建築 平成19年(2007) 3月11日撮影 撮影:河本勝氏 |
|||||||||||||||||
内観は吉野檜の素木の柱も清々しい神社風に聚楽壁 |
信徒の育てた桐材を用いた繊細な欄間の透かし模様 |
|
|
||||||||||||||
正倉院宝物の七宝技法を駆使した十字架や聖杯などの聖具 |
パイプオルガン 1987年には教会の建物に合わせ、西洋松材で建造されたパイプオルガン |
|
|
||||||||||||||
外観は入母屋破風と千鳥破風を組み合わせた和瓦葺きの屋根、真壁造りの壁面構成という寺院風 |
|
和風意匠を採用、屋根に十字架がある |
右奥に興福寺三重塔 |
||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
奈良市高畑町 尾花座・尾花劇場 (現 ホテルサンルート奈良⇒ホテル尾花)) 明治42年10月芝居小屋「尾花座」興行開始。大正9年常設映画館「尾花劇場」開業。昭和55年2月閉館。昭和56年ホテルへ。 写真提供:中野重宏氏 |
|||||||||||||||||
![]() 大正時代の尾花劇場 山林大会梨本宮殿下御台覧記念 |
![]() 大正時代の尾花劇場 興福寺の五重塔が見える |
![]() 尾花劇場 松竹映画奈良奈良封切場 |
![]() 昭和21年(1946) 愛染かつら上映大盛況 昭和20年12月前篇2週間 昭和21年1月後編連日超満員 北は五十二段、南は御所馬場まで4列続く |
||||||||||||||
奈良市池之町 旧市庁舎前の通り | |||||||||||||||||
昭和32年![]() 写真提供:吉田守氏 |
昭和40年11月 旧市庁舎前の通り 奥に「尾花座」が見える ![]() 写真撮影:吉田守氏 |
||||||||||||||||
奈良市菩提寺町(現高畑町)(猿沢の池東側) | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和32年6月(1957)撮影:福川美佐男 奈良市菩提寺町(現高畑町) 興福寺五重塔とホテル |
平成21年10月17日(2009)撮影:福川美佐男 奈良市高畑町・荒池の西・飛鳥荘の北川長屋より |
||||||||||||||||
奈良市東寺林町 興福寺の五重塔(旧奈良市役所前:現ならまちセンター前) | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和32年3月(1957) 撮影:福川美佐男 旧奈良市役所前 |
平成8年8月(1996) 撮影:福川美佐男 ならまちセンター前 |
平成22年1月23日(2010) 撮影:福川美佐男 ならまちセンター前 |
平成22年3月2日(2010) 撮影:福川美佐男 なら町センター前 |
||||||||||||||
奈良市元林院町 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和52年3月(1977)撮影:福川美佐男 猿沢の池手前西側の細い道を入った処 郷土料理「いづみ」前 |
平成19年6月6日(2007) 撮影:福川美佐男 町並みに昔の花街の面影が残る。 田舎料理「いづみ」前 |
平成21年1月4日(2009) 撮影:福川美佐男 奈良市元林院町 |
|||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和52年3月(1977)撮影:福川美佐男 元林院町 八王子社と四之室社付近 芸者置屋・お茶屋のある町 花街 |
平成19年6月6日(2007) 撮影:福川美佐男 |
平成21年1月4日(2009) 撮影:福川美佐男 町並みに昔の花街の面影が残る |
|||||||||||||||
奈良市元林院町 絵屋橋 | |||||||||||||||||
![]() 昭和7年の半玉 元林院の絵屋橋(率川に架かる)のたもとで. 元林院は明治初期から遊郭として栄え、最盛期は大正から昭和初期にかけて多くの芸者を抱えていた。 写真提供:元林院写真ギャラリー |
![]() 戦後の絵屋橋(率川に架かる)木の欄干 写真提供:元林院写真ギャラリー |
![]() 戦後の絵屋橋 写っているポスターにノムラマンサク (野村万作)の字が読めます -在任が1947年から1951年ですのでそのあたりでしょうか 写真提供:元林院写真ギャラリー |
|||||||||||||||
昭和3年 春日大社真榊奉納 元林院の皆さん ![]() 写真提供:元林院写真ギャラリー |
|||||||||||||||||
奈良市 南市町 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和52年10月(1977)撮影:福川美佐男 旧遊郭の芸子置屋・二階の窓の屋根に板塀が張られていた。 |
平成23年2月20日(2011) 撮影:福川美佐男 旧花街 |
||||||||||||||||
奈良市 鶴福院町 遠方に興福寺五重塔 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和52年10月(1977)撮影:福川美佐男氏 南に行けばすぐ元興寺極楽坊がある。 |
平成20年6月15日(2008)撮影:福川美佐男氏 興福寺の五重塔が見える商店街 |
平成23年2月20日(2011)撮影:福川美佐男氏 町並みは変わっているが「タナカ美荘園」の看板は同じ |
|||||||||||||||
奈良市 椿井町 椿井小学校より 屋上から北東を望む | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 手前の東西の道路は、小学校の正面まえ。 スズラン型の街路灯、粉屋、表具店の看板が見える。 |
|||||||||||||||
昭和32年10月(1957)撮影:福川美佐男氏 椿井小学校の校舎が10月鉄筋3階建落成。 その直後の、お昼休みの屋上の光景。 興福寺の南円堂と五重塔および若草山が近くに見える。 |
昭和33年2月(1958)撮影:福川美佐男氏 椿井小学校3F廊下より撮影 興福寺の南円堂と五重塔、若草山を遠望。雪が屋根に積もっている。 |
||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
平成8年5月17日(1996)撮影:福川美佐男氏 椿井小学校屋上より興福寺若草山眺望 町並みの甍の波は消えてしまった。南円堂の左奥に県庁(1965完成)が見える。 |
平成20年2月3日(2008)撮影:福川美佐男氏 奈良市もちいどの町(メゾンドール奈良パークサイド6Fベランダより撮影。(校舎再建により同所不可撮影) |
||||||||||||||||
奈良市 小川町・椿井町境界 率川橋(長幸橋)石標付近 後ろの倉は古梅園の製墨場 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和52年4月(1977) 撮影:福川美佐男氏 率川橋(長幸橋)石標 川は暗渠になっている。 |
平成20年11月19日(2008) 撮影:福川美佐男氏 |
平成23年5月21日(2011) 撮影:福川美佐男氏 |
|||||||||||||||
奈良市 椿井町 製墨「古梅園」付近 古梅園は江戸時代中期の創業で300年近い歴史 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和48年頃の古梅園 写真提供:平城第二団地自治会 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和52年4月(1977)撮影:福川美佐男氏 椿井町 「古梅園」 椿井小学校向かい |
平成22年3月2日(2010)撮影:福川美佐男氏 | ||||||||||||||||
奈良市 東城戸町交差点 (奥医院前) | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和52年3月(1977)撮影:福川美佐男氏 土蔵の医院 |
平成7年(1995)撮影:福川美佐男氏 奈良市西城戸町・東城戸町・光明院町交差点 |
平成21年2月(2009)撮影:福川美佐男氏 | 平成23年5月21日(2011) 撮影:福川美佐男氏 奈良市東城戸町 奥医院は駐車場の右の建物 |
||||||||||||||
奈良市 東城戸町5 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
昭和52年10月(1977)撮影:福川美佐男氏 木谷紙店前 |
平成21年2月(2009)撮影:福川美佐男氏 旧木谷紙店跡 |
||||||||||||||||
奈良市東城戸町 製墨「松壽堂」 黒匠として宮内庁御用達に指定されている。 | |||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||
昭和52年4月(1977)撮影:福川美佐男氏 奈良市東城戸町 製墨「松壽堂」 |
平成15年6月(2003)撮影:福川美佐男氏 | ||||||||||||||||
奈良市下御門町 刃物商「菊一文字」 中世の刀匠の名を屋号とする老舗。 | |||||||||||||||||
![]() |
前を行くゆり姫行列
![]() |
老舗の看板はそのまま。![]() |
|||||||||||||||
昭和50年(1975)撮影:福川美佐男氏 | 平成3年(1991)6月17日撮影:福川美佐男氏 | 平成15年6月27日(2003)撮影:福川美佐男氏 | |||||||||||||||
奈良市下御門町 江戸川 | 下御門町 餅飯殿商店街 | ||||||||||||||||
![]() 平成15年(2003)11/15撮影:福川美佐男氏
|
昭和15年8月3日 餅飯殿商店街 下御門町のダルマ薬局が右に見える。 左の理髪店は眼鏡店になっている。 ![]() 写真提供:齊藤義明氏 |
||||||||||||||||
|