出版余話     「中央公論社と嶋中雄作」B −最終回−


嶋中雄作らが『中央公論』50周年を祝った4ヶ月余り後の昭和11(1936)年2月、陸軍青年将校らによる二・二六事件が引き起こされた。翌年7月には、中国との間に戦争が始まり、昭和16年には太平洋戦争が勃発する。日本社会は徐々に戦時体制へと突き進んでいく。こうした社会情勢のなかで、民主主義、自由主義を柱とする『中央公論』は内務省、軍部などからの指導や出版統制という厳しい事態に直面し、まさに受難の時代を迎えることになる。
 昭和13(1938)2月、『中央公論』3月号に、石川達三「生きてゐる兵隊」が掲載された。この小説は、同誌特派員として中国戦線に従軍した石川が、戦地での体験をもとに戦争の実態をリアルに描いたものであるが、発売翌日内務省警保局は「軍を故意に誹謗したもの」、「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」として、中央公論社に同号の発売禁止を通達した。結局この事件で、石川と編集長雨宮庸蔵、発行責任者、印刷責任者が「新聞紙法違反」で起訴されている。
 戦時体制が進むなかで、内務省だけでなく陸軍省報道部や内閣情報局なども出版統制に乗り出し統制網は重層化していく。昭和14(1939)5月、雄作は、陸軍報道部から『中央公論』の編集姿勢について懇談したいとの招きをうけ、小森田一記編集長、畑中繁雄次長らと出席した。席上、清水盛明報道部長や松村秀逸中佐から「時局の緊迫にもかかわらず…とかく傍観的態度をとり、自由主義の伝統を守って改めようとしない」理由を問われたのに対して、雄作は、インテリ層を対象とする同誌の場合、「読者を真に納得させるには、相当筋の通った合理性をもって説得する必要がある。そうでなければ、(真の政府)協力とはなりえない」と抗弁したという。
 昭和15(1940)年暮れになると内閣情報部は情報局に拡大改組され、従来から行っていた内閲を、事前検閲とし義務づけた。また、日本出版文化協会を組織化し、企画内容を査定し用紙割当をする役割を担わせている。中央公論社への締め付けはこの面でも厳しく、当初から基準量を下回り、終戦の前年には半分以下になっていたという。
 そして昭和18(1943)年になり、中央公論社の運命を大きく変える事件が起こった。「横浜事件」である。『改造』掲載の「世界史の動向と日本」で検挙された細川嘉六は、その前年郷里富山県泊町で出版記念会をもった。神奈川県特高警察は、その会合を日本共産党再建の集まりだ見なし、会合写真に写っていた改造社、中央公論社、日本評論社、岩波書店などの編集者らを治安維持法で次々と検挙していった。この事件では、拷問と栄養失調により中央公論社浅石晴世、和田喜太郎が獄死している。
 横浜事件での中央公論社関係者は先の2名のほか、木村亨、小森田一記、畑中繁雄、青木滋
(青地晨)ら数名にのぼり、取締役、監査役や『中央公論』編集長黒田秀俊らが証人、参考人喚問されている。また、翌19年6月には、社長である雄作も数日間にわたり横浜に出頭を求められ厳しい取り調べを受けた。度重なる受難で、彼の心労は極限に達していた。
 そして、7月
10日、中央公論社は改造社とともに、内閣情報局から出頭を求められ自発的廃業を言い渡された。これによりついに『中央公論』の廃刊、社の解散に追い込まれるのである。7月31日、社員を集めて最後の会食が大東亜会館で行なわれた。持病を悪化させ入院中であった雄作は「…今日刀折れ矢尽きた形で退却しますけれど、思い残すことは何一つありません。国家の為に良かれと思った我々の誠意は、何時の日にか必ず認めらるる日のあるのを信じます。…」と苦悩に満ちた辞を書面で寄せている。
                                      

  昭和20(1945)年8月、嶋中雄作は、妻千枝の郷里である奈良県法隆寺村の疎開先で終戦を迎えた。彼は820日過ぎには上京し、再建準備に取り掛った。新生『中央公論』は新時代に相応しいものでなければならないとの信念から、彼は編集陣を一流の思想家、学者に求め、蝋山政道を『中央公論』主幹に、谷川徹三を『婦人公論』主幹に、また林達夫を出版局長に迎えた。戦地や別会社に散らばっていた旧社員も戻りはじめ、また資金繰りや用紙難も凌いで、『中央公論』が昭和21年1月号から、『婦人公論』は4月号から復刊された。しかし翌年1月、GHQの公職追放令が改正されて、雄作も公職追放該当者に仮指定された。中央公論社では、この反証をめぐって社内が社長派と組合派とに対立する紛争が持ち上がる。さらに11月、入社まもない長男晨也が26歳で病死した。このような思いがけない事態が続き彼の健康は一向に勝れることはなかった。そして、昭和24117日、新しい時代に存分に力を発揮できないまま、静養先の熱海で61歳の生涯を閉じた。
  
  〈参考文献〉『中央公論社の八十年』中央公論社、『出版人の遺文 嶋中雄作』栗田書店ほか
 

                                  (森川 博之) 

|目次に戻る| |次へ|


奈良県立奈良図書館「芸亭」