新コーナー “温 故 知 新”
県立図書館開館100周年目前インタビュー 第1回
「未来」だと思っていた21世紀がやってきました。
そして、県立図書館は、もうすぐ100歳の誕生日を迎えます。(2009年11月です。)
この九十一年間、図書館はどのように育ってきたのでしょうか? そして図書館は100歳をどう迎えるのでしょうか?
21世紀が始まった今年、私たちは県立図書館の歴史を振り返る作業を始めたいと考えました。
「要覧」に年表があり、すぐに歴史を知ることはできますが、「もっと生きた歴史を知りたい」との思いから、図書館職員の先輩にインタビューをすることにしました。
◆今回のインタビュー:中村前次長
中村前次長は、旧館時代に奈良図書館に配属され、奈良図書館には27年間、橿原図書館には4年間、合わせて31年間県立図書館と共に歩んでこられました。
インタビューでまず、「一番に思い出されるのは何ですか?」とお聞きしたところ、「やっぱりBM(移動図書館)ですね。楽しかった。」とのことでした。
今回は特に、BMのことに絞ってレポートする事にします。
移動図書館 さくら1号と2号
--BMの係にいらっしゃったのは、いつ頃ですか?
旧奈良図書館で昭和40年〜42年の3年間と、橿原図書館で昭和48〜50年の3年間です。昭和48年からは奈良図書館と橿原図書館あわせて2台でのBMサービスが始まり、一番活発な時期でした。
--その活発だった昭和48年当時で、BMの係は何人でしたか?
奈良、橿原あわせて5人です。車は2台で、奈良と橿原で協力して運営していました。
--主にどんな処をまわっておられたんですか?
地域としては、県内をくまなくまわっていました。団体としては、家庭文庫・読書会・子ども文庫が主ですね。公民館などの行政よりも民間の方が熱心でした。まだ市町村図書館が少なかったですから。
--どういうところが、”楽しい”と感じておられたところですか?
やはり、利用者が喜ぶ顔。そして、利用者と一体感があったことですね。
--利用者と一緒にBMを動かしている、という感じですか?
文庫のお母さん方にもよく手伝ってもらいました。ちょうど昭和49年から児童書も扱うようになり、BMの最盛期でした。文庫の数もどんどん増えていき、週の内4日(つまり平日すべて)はBMに乗っていましたね。購入する本の数が増え、整理が追いつかないほどになっていたんです。それで、手伝ってもらっていた時期があります。
BMでは、図書のリクエストも重視していました。バスは1ヶ月毎に行くことが多いのですが、リクエストを聞いたその次の月には何とか本を届けたいと、汗を流していました。
--大変な盛況だったんですね。そうすると、貸し出し数も相当あったんじゃないかと、想像されます。当時の貸出しというと、カードへ書名を書いたり、手続きが大変だったと思うのですが、その点はいかがでしたか?
やはりここでも、文庫のお母さん方が手伝って下さいました。それから、BMでは本館とは別の、簡単な方法で手続きをしていたんです。本の後ろにポケットをつけ、そこに書名などが書かれているカードを2枚入れておきます。貸出の時に、1枚は図書館に、あとの1枚はその文庫の責任者に渡します。これだけです。
--これって、ブラウン式ですね。本館よりも先に、進んだ貸し出し方法を取っていたことになります。
旧館時代からずっとこの方法です。
「ブラウン式」なんて考えずに自然と使っていましたね。
--すごい。”必要”から、ちゃんと貸出方法が生み出されていたのですね。
でも、日本目録規則には全然沿っていません。
カードはごく簡単で、書名・著者名・出版社・値段だけの記入でした。
--値段?
ユニークでしょう。万が一紛失した場合、弁償してもらう為なんです。実際紛失することはそんなに有りませんでしたが。図書の整理も簡単な方法に変えていました。早く処理をして、少しでも早く本が届けられるように。
--先ほど家庭文庫へも本を持っていかれていたとお聞きしましたが、おうちまでバスで持っていかれていたんですか? そんなに広い場所があったのでしょうか?
いけるところまでバスで行って、あとは手で運ぶんです。
一度大変なことがありました。マンションの4階で家庭文庫を開いている方があったんです。ある日、貸し出しをした本を取りにいった時のことです。パッキン4箱分の本が、大きな洗濯機のダンボールダンボール1つに詰め替えられていたんです。元のパッキン4つは何かに使ってしまわれたんでしょうね。
--え? その重い大きな箱、4階からバスまで運ばれたんですか?
仕方がないので別のパッキンを空け、詰め直しをしました。
--ほかにもいろんなことがあったんでしょうね。
そうですね。バスが行くと、いろんな人が集まってきます。長靴を履いて畑仕事をしていた人まで手を止めてきてくれるんです。嬉しいのですが、バスは泥だらけでしたね。
BMを利用する子どもたち
--みなさんはBMが来たのをどうやって知るのですか?
実は、放送をするんです。「移動図書館が来ました。」と言うアナウンスと「ブックモービルの歌」を流して。まず、放送しながら町内をまわります。それから空き地などにバスを止めて店開きをするわけです。放送は少し、恥ずかしかったですが…。
--でも、その放送が聞こえてくるのを、楽しみに待っておられた方たちの顔が想像できます。BMを通して、本当にたくさんの方に出会われたことと思います。図書館は、職員だけでなく利用者やその他多くの関係者によって育ってきたことが感じられました。
今後もこれらの歴史を踏まえ、さらに前進していきたいと思います。
ありがとうございました。
(玉田 亜由美)