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大阪女子師範学校修学旅行アルバム(その2)

5/22奉天

北京に遷都される以前の清朝の首都として発展。遷都後も副都の扱いをうけた。日露戦争中には奉天会戦が行われている。1931年には奉天郊外の柳条湖付近の満鉄線を日本軍が爆破、中国軍による攻撃として奉天をはじめとして全満州を占領(満州事変)。翌年満州国の建国を宣言した。

清朝第二代皇帝太宗の陵墓「北陵」での記念写真
清朝第二代皇帝太宗の陵墓「北陵」
奉天の街角の風景
奉天の街角
馬車で移動中の一行
馬車で移動
満州事変記念碑
満州事変記念碑「爆破地点」とある

5/23大連

19世紀末、ロシアが中国より租借権を得て開発。日露戦争後に、日本がロシアより租借権を譲り受け、国際貿易港として整備した。満鉄の本社も置かれ、「満州の玄関」と称された。

大連 大広場の風景
大広場 大連の中心部に位置する広場。市街地の道路はこの広場から放射線状に伸びている。写真正面の建物は横浜正金銀行大連支店(現:中国銀行大連支店)。その他、大連ヤマトホテル、警察署、市役所、領事館が建てられ、「大連の心臓」と呼ばれた。
連鎖通りの風景
連鎖通り
大連の定期船の出帆風景
定期船の出帆風景

5/24旅順 〜日露戦跡巡り〜

19世紀後半、清の海軍の根拠地となり、日清戦争で、日本軍が占領。その後、ロシアの租借地となったため日露戦争でも激戦地となった。日露戦争後は、日本の租借地となり、軍事的拠点として発展した。

爾霊山忠魂碑
爾霊山忠魂碑(203高地)日露戦争最大の激戦の地爾霊山は乃木希典が203の音を漢字にあてたもの
望台砲台の風景
望台砲台
白玉山表忠塔
白玉山表忠塔日露戦争の戦没者慰霊のために建てられた高さ65.4mの白塔。満鉄カレンダーでも描かれている。
日露戦争の停戦条約締結地水師営の記念写真
水師営停戦条約締結の場所

5/25大連から日本へ帰国の途へ

扶桑丸船尾
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