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大阪女子師範学校修学旅行アルバム(その1)

大阪女子師範学校修学旅行(昭和13年)旅程図

5月17日 満州国入国

平壌を出発。列車で鴨緑江(国境となる河川)を越えて満州国へ入国。

国境を越えたとたん急に内地が恋しくなりました。鴨緑江はとても趣深い真黒い水です。新興満州国は紺の満州服で彩られています。

(女学生が家に宛てた手紙より)

5月18日 撫順

炭鉱見学
撫順炭田は満鉄の重要財源となった。
撫順炭田の風景

5月19日 新京(満州国首都)

ほぼ更地の状態から日本が資本を投入し、開発したため道路・水道等の設備は日本国内よりも立派に整備されていた。

みずみずしい緑樹、道路の幅六〇米(メートル)それが真直、各方向に伸び、二里(8q)前方のものが見渡される。大きな建物ばかり。帝国政府各部の建物も囲をとればよいばかりに立派に出来てゐる。帝国建国されて五ヶ年、かくも立派になったものと驚いてばかり。

(女学生が家に宛てた手紙より)

新京駅周辺の風景
新京駅
国務院(満州国国政の最高機関)の外観
国務院(満州国国政の最高機関)

5月20日 ハルビン

19世紀末にロシア人によって建設された都市。鉄道交通の要衝で あったため国際都市として発展。伊藤博文が暗殺された地でもある

あこがれのハルピン 露人の往来する、支那人満人、二ヶ国の人種往来する雑踏の中を私達が歩くのです。間違いそうです。アメリカか上海の国際都市を歩くやう。キタイスカヤの人並みをくぐって顔をみくらべながら映画館につれていただいた。トーキーは露語、傍註は日本語、満州語三ヶ国の言葉が明滅する。

(女学生が家に宛てた手紙より)

※映画の音声はロシア語字幕は中国語と日本語で映画館の中で三ヶ国語が入り乱れている様子が記される

ハルビン, キタイスカヤ街の様子
キタイスカヤ街
聖ソフィア聖堂の尖塔
聖ソフィア聖堂
ハルビン街頭のロシア人少女
ロシア人少女
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