最終更新日:2010年10月8日
平時は希望して就職した工員によって支えられていた工廠も、太平洋戦争期には徴用によって、多くの民間人が働いていました。京都市内で書店勤務をしていた宮秋算悟氏は、昭和18年海軍第三火薬廠へ徴用されました。氏は、自由な感想などを記した自由日記をつけておりこれを平成元年『海軍第三火薬廠徴用工員日記』として出版していますが、別に勤務上の覚えとしての日記をつけており、工廠の勤務実態を知る資料となっています。
舞鶴海軍工廠に徴用された宮秋算悟氏の著書と日記、門鑑(その1) の先頭に戻る