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大阪陸軍造兵廠の工員証(F.S.氏寄贈)

明治期の富国強兵政策の下で次々に創設された国営工場は、その後徐々に民間に払下げられていきますが、「工廠」と呼ばれた兵器工場は終戦まで国営(陸軍または海軍の直営)のままで維持されました。工廠が地域社会に与えた影響は大きく、大阪近辺で重工業が発達したのも、大砲などを製造していた大阪砲兵工廠勤務のなかで技術を身につけた工員が退職後、独立したケースが多かったといいます。

 大阪砲兵工廠は陸軍の機構改革によって大正12年陸軍造兵廠大阪工廠、昭和15年大阪陸軍造兵廠と改称されましたが、しばしば旧名の大阪砲兵工廠で呼ばれました。

 廠は、「しょう」と読み場所や「処」といった意味を持ちます。したがって、字義的には工廠は工場一般を意味しますが、軍以外はこの文字を使わなかったために、工廠は軍の工場の代名詞となりました。

大阪陸軍造兵廠の工員証(表)
大阪陸軍造兵廠の工員証(裏)

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