レファレンス・あれこれ (16)
 
閲 覧 室
 


Q 『御伽草子』の「二十四孝」の絵が見たい。

A 当館所蔵資料の中で「二十四孝」の絵が収載されているものに次のものがあります。
 『日本古典文学大系 38 御伽草子』(岩波書店)
 『御伽草子』(岩波文庫)
 『日本古典文学全集 36 御伽草子集』(小学館)
 『歴史としての御伽草子』(黒田日出男 ぺりかん社)
 絵はいずれも渋川版『御伽草子』によるもので、二十四話二十四図からなります。この渋川版『御伽草子』は江戸時代初期、大阪の本屋渋川清右衛門により刊行された二十三篇の短篇物語草子で、「酒呑童子」や「一寸法師」「物臭太郎」なども収載されています。
 「二十四孝」とは、中国の二十四人の孝子を詠じた『全相二十四孝詩選』をもとに五言絶句の詩に和文の平易な解説と最後に挿絵を付けて草子化したものです。形態は木版刷で横長の当時流布していた今日「奈良絵本」と呼ばれる形式を真似たものです。
 参考までに、当館所蔵『奈良絵本絵巻集』所収「二十四孝」を紹介します。二話を一図に納めた十六図は御伽草子の挿絵と同場面で、口絵から極彩色の細密な大和絵であることが見て取れます。“渋川版とは相互に直接的な書写関係はない”と記載されていますが、「二十四孝」の絵が古くから定着していたものと覗えます。
《参考文献》
『歴史としての御伽草子』黒田日出男著(ぺりかん社):[付録]渋川版『御伽草子』全挿絵
『中国学芸大事典』(大修館書店)
『国史大事典』(吉川弘文館)ほか

(松村 順子)

 
児童室
 



Q 戦争(太平洋戦争)中の人々の服装と実際の作り方を調べたい。

 小学校高学年女子2名よりの質問です。
 戦争中の子ども達の服装については、児童室に開架してある資料の中で見ていくことができます。『親から子に伝えたい昭和の子どもたち』(学習研究社 1986)や『子どもたちの昭和史』(大月書店 1984)は、どちらも昭和初期から現代までの子どもたちの生活の様子を豊富な写真と共に解りやすく解説しています。戦時下の国民学校児童の服装は前者に、中学生・女学生の服装は後者にそれぞれイラストで説明されています。女子はスカートの代わりにモンペ姿。男子は足元にゲートルを巻き、全員肩から防空頭巾を下げています。また上着には、血液型と連絡先を書いた名札が縫い付けられています。
 モンペや防空頭巾の作り方はこれらの資料には書かれていません。そこで実際に戦争中に発行された裁縫の本の中で探してみましたところ『婦人標準服の作り方』(大妻コタカ著 帝国女子教育社刊 1944)の中に、モンペ、防空頭巾、手っ甲、脚袢など当時の様々な服装の作り方が出ていました。

(小西 雅子)

 
郷土資料室
 

 

Q 大和の中世がわかる資料について

『国民郷士記』は、大和の中世の動きがわかる貴重な史料ですが、類似本も多く、その書名は一様ではありません。
 『国書総目録』(岩波書店)には『和州十五郡衆徒国民郷士記』という項目がありますが、国会図書館本は『和州大名郷士国民姓氏』、京都大学本は『和州郷士記』、東京大学史料編纂所本は『大和国衆徒国民郷士記』などと収録されている所蔵機関によって書名は異なります。
 一方、地元奈良県内には、郡山藩大庄屋上田家所蔵の『和州国民郷士記』や当館所蔵の『和州十五郡衆徒神人郷士記』(216.5-107)『大和郷士録』(薄木家文書)が現存しますが、いずれも書名がちがううえ、内容も項目・構成・人名・書写年代(推定)などの異同がみられます。ただ上田家本『和州国民郷士記』は早くからその存在が知られ、史料的価値も高く、市町村史編纂のさい底本とされ、『国民郷士記』と略称されていたことから一般にそう呼ばれるようになったと思われます。
 これら諸本に共通することは、大和の中世武士を興福寺の衆徒・国民の観点から叙述した近世史料であり、中世史料を補う貴重な史料といえます。しかも若干内容が異なるとはいえ、筒井氏一族の記載が中心となっており、『和州諸将軍伝』(宝永4年)につながるものであるということです。ちなみに興福寺の衆徒・国民とは興福寺被官の中世大和武士のことで、鎌倉中期頃から在地の名主層をまきこみ、武士団の形成をはかったといわれます。
 なお、上田家本『和州国民郷士記』は、『奈良県史 第11巻 大和武士』(名著出版)に翻刻されています。

(山上 豊)

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奈良県立奈良図書館「芸亭」