図 書 館 の 目 〜奈良県立奈良図書館創立90周年に寄せて〜
人の顔に欠くべからざる要素として、輪郭・目鼻・口・耳・そして髪がある。丸顔や瓜実顔それに目鼻立ち、口元それに髪型というような着眼点があり、中でも輪郭・目元・口元この3点で人は顔を認識していて鼻や髪はその次であるらしい。
大きめの丸の中に小さめの丸が3つそれらしく有れば顔と認識する人がほとんどであるようだ。古代の人々の所産である土偶や線刻画にも鼻はなくとも目と口がある。人類は顔の中でも特に目と口には注目しているらしい。歌舞伎役者の隈取りや舞台俳優の顔がこの事実を雄弁に語っている。
子供達や若者さらには50代半ばまでの大人も含めかなりの人たちが好む漫画やアニメーションに登場するキャラクターの重要な部分もその目である。台詞や説明が少なくても十分わかるのだ。目は口ほどにものをいうのである。
口にも鼻にも人の喜怒哀楽が現れることは自然であるが説得力という点で目には敵わないように思える。目が笑っていないなどの言い回しが如実に物語る。目には正直な表情があるらしい。口舌の徒は信用されないが一目で気に入られることはあるので面白い。見ること自体が目に課せられた機能であるから、必然に目が目に注視されるのであろう。
では、図書館という顔に付いている目は何だろう。目は来館者に直接応対する司書の人たちなのか、図書館家具や照明なのか、検索用のコンピュータなのか、それとも開架内容なのか・・。人が目だと意識するもの、図書館の本質を明示しているものは何であるのか。茶でもいれて気楽に語り合うのもいいのではないだろうか。毎日のルーチンワークから抜け出て、鏡を覗いてみるのも面白い。ともあれ、人にわかりやすい図書館、足を運んでみたくなる図書館、自由に調査研究のできる図書館、奈良県ならではの図書館を目指して職員は機会あるごとに研修を積み重ねている。
昨年11月には90周年記念展示を行ったが、施設設備はもちろん、サービスの方法も手段も時代の求めに応じた変容をしてきた。
今や、好むと好まざるとに関わらず、図書館もまた電子化の波を受け入れて情報の海を泳ぎ抜かねばならない。さらには自らも情報の発信源としてその存在を示さねばならない。出版界もまた同様である。オンデマンド出版による紙資料の提供に踏み切り、著作権保護などに問題を残したまま電子出版・電子図書販売にも乗り出した。既に、インターネット上には雑誌形式で読者参加型のものが登場している。奈良図書館に於いても所蔵資料の一部については電子化を進めている。その提供や保存には多くの悩みも抱えている。極めて粗い平面構成にはなじまない資料もある。
実物として手に取ることができ、インクの香りを嗅いだ嬉しさも、装丁の味わいや紙資料ならではの持ち味も、資料を繰りながら対話する楽しさなども、現在の人々がそうであるように、これからの人たちも同様になじみ親しむだろう。
さりながら、図書に抱く若者達の認識が変化するのは早い。このままでは、図書館が紙資料の博物館や保存庫と化すおそれは十分にある。レファレンスと資料提供について手段や方法を含めもう一度考えなくてはならない時かとも思う。
毎日新聞が昨年12月に掲載した特集記事「図書館ルネッサンス」は重要な示唆に富むものであった。当面の課題を克服しつつも図書館の進化を視野に入れたビジョンを持ち、それに裏打ちされた活動を展開することが必要であろう。その積み重ねが、またとない機会が訪れたときも含め、必ずや大きな成果をあげることにも繋がっていくようになると考えている。
90年の歴史の中で県立奈良図書館が公共の図書館であることを止めたことはない。併せ考えるとき、流行を追うに忙しくともすれば不易を見失いがちな自らへの戒めの気持ちも込めて、不易と流行いずれにも平等な目配りを心がけたい。図書館の目は顔はなどと思いを巡らせるのもよいものだ。私は利用者それぞれの表情こそが目であり顔であると考えている。
(県立奈良図書館長 安井 正憲)