レファレンス・あれこれ (14) |
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閲 覧 室 |
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Q 明治・大正期にフランスに渡った薩摩治郎八について書かれたものがあるか。
A 薩摩治郎八(1901〜1976)は東京生まれ。祖父の薩摩治兵衛は和洋木綿商として一代で巨富を築いた近江商人である。大正7(1918)年オックスフォード大学に留学、その後パリに赴き、バロン薩摩の名で社交界に登場して日仏文化交流に尽力。大正14(1925)年、パリに私財2億円を投じて「日本館」を建設し、藤田嗣司らと親交を結んで岡鹿之助ほか日本からの留学生を援助した。レジオン・ド・ヌール勲章授章。第2次世界大戦中はフランスに留まり、昭和26(1951)年、無一文で帰国。浅草、のちに徳島に住んだ。
モデル小説に獅子文六著『但馬太郎治伝』(新潮社 1967)、瀬戸内晴美著『ゆきてかえらぬ』(文芸春秋 1971)、著書に『巴里・女・戦争』(同光社 1954)、『ぶどう酒物語』(村山書店 1958)などがある。
ある人物について、その業績を知りたいという質問はしばしば寄せられる。この人物の場合、人名事典を調査後、『滋賀県百科事典』(祖父薩摩治兵衛の項)と『徳島県百科事典』を見てみると、それぞれに記述があった。また総合目録検索システム(IPA)では、著書として上記のほかに『せ・し・ぼん』(山文社 1955)、『なんじゃもんじゃ』(美和書院 1956)が検索でき、取り寄せられることが確認できた。一方、インターネットの検索(1999.2.10)でも、徳島県立近代美術館ほかで「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」展が催されていることや雑誌『芸術新潮』(1998.12)での紹介記事のことなど、関連情報を得ることができる。
なお当館ではこのうち『但馬太郎治伝』(『獅子文六全集、第10巻』朝日新聞社 1969)、『ゆきてかえらぬ』、『芸術新潮』(1998.12)を所蔵している。
<参考資料>
(中野貴世子)
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児 童 室 |
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Q 日本の数の数え方で「ヒト、フタ、ミツ…トオ(1、2、3、…10)」という数え方があるが、その数え方でトオ以上をなんと数えていくのか。
A 学校が夏休みに入ると課題の調べ物のために来館する児童・生徒が急増します。質問者は中学生ですが、彼もまた課題をかかえてやってきました。
ただ、図書館では原則として、宿題やクイズの答は、そのまま答えないことになっています。その代わり、調べ方のアドバイスや資料の紹介など、質問者が答に辿り着けるよう、色々お手伝いしています。
さて、質問者に対してですが、これは数学の問題であること。そして数学の中でも和算と呼ばれる分野のものであることを説明し、そこから調べていくことにしました。まず和算に対しては、日本十進分類法で419という分類番号が与えられていますので、これを手掛かりにします。館内にあるコンピュータの検索画面の請求記号の欄に419と入力し、検索ボタンを押します。すると25冊の本のタイトルが画面に表れました。この中から適当な本を選ぶ訳ですが、この場合雑学的な本が良さそうです。そこで『東海道五十三次で数学しよう』(仲田紀夫 黎明書房)を見ることにしました。これは一般向けの本ですが、同じような内容なら児童室の書庫にもあったはずです。こちらは直接書庫へ行って『数学おもしろ旅行 数学のドレミファ2』(同上)を探してきました。ここまでの作業は、勿論質問者と共に行います。この2冊の本を読み進むうち、彼は答を得ることができました。因みに11はトオアマリヒト、12はトオアマリフタ。20はハタチ、30はミソジ。100はモモチで1000はヤヂです。
余談ですが、最近子どもさんの宿題をお父さんお母さんが子どもさんに代って調べに来られるケースが増えています。答そのものを得ることよりも調べる過程が大切です。是非、子どもさんを寄こして下さい。
(小西 雅子)
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郷 土 資 料 室 |
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Q 興福寺「宝蔵院」の歴史について。
A 「宝蔵院」といえば、多くの人は「宝蔵院」流槍術を想起されますが、「宝蔵院」そのものの歴史を書いた文献は少なく、たいていは鎌宝蔵院槍術との関係でふれられた文献があるだけです。