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鹿児島から母へ宛てた手紙

鹿児島から母へ宛てた手紙

拝啓 前略、昨日(三日)はわざわざ鹿児島迄
御出で下さいましたけれども、面会する
事が出来得ず残念でした。
然し、お母さんと兄さんのお姿は、しっかと
見る事が出来ました。
それは、お母さんと兄さんが、丁度港に来られた
時、其の真前に軍艦の小型のが三四隻在たでしょう、
そして一番先に出港したのがあるでしょう、あれに私は
乗ってゐたのです。岸を離れて二、三百米位の時、始めて
母さん達の姿を発見致しました。私は艦橋(艦長の在る所)
で双眼鏡で見張りをするのが仕事ですで、良くハッキリ
見ることが出来ました。五、六間位に在るのと同じ
位に見えました。手をかざして船の方を一心に見つめて
おられたのが手に取る様でした・・・・
それから二隻三隻と皆出港したでしょう
ところがですな、それから二時間程後には、又皆帰って
来たのです。それは大風の吹く電報が這入ったのです。
それで十一時には、元の所に横着けに出来たのです。
で、午食を食べて、直ちに鹿児島駅に馳せつけた
けれども、二列車発車を見たですけれども、駄目でした
帰り途、橋口旅館に電話をかけて見ましたら、夕夜の中
に来ておられたらしいですな。私も列車毎に駅で見張っておったん
ですけれども・・・・やっぱり縁が無かったんでしょう。佐世保でも
一日の違ひで駄目でしたな・・・・橋口旅館にはいろいろ土産物
をおいて行かれたらしいですな・・・・又其の中に鹿児島に来ること
も有るでしょ、あるひは沖縄に転勤になるかも知れません。
今は鹿児島の大島と言ふ所にゐます。そしてたまに船に乗るのです
船に乗った時は沖縄か鹿児島に来るのです。
其の外は大島に陸上勤務してるのです。富津丸司令部
とは名義丈で船には始終乗って無いのです。
司令官付ですから、身は楽です。大阪のとき江〔妻〕も此んな
詳しいことは何んにも知らないのです。知らせてやって下さい。此の手紙は
今日(四日)上陸して旅館で書いてゐるのです、である程度詳しく書け
ます。今日から、三四日或は一周間位、鹿児島に在泊するかと思います。
この田の中の忙しい所をわざわざ御出で下さいまして有難う
御座いました。では本日は是で、御礼致します
大島とは鹿児島と沖縄の間です。

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