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入営後母へ宛てた手紙

入営後母へ宛てた手紙

お母さん、先日は大変御無理を申しましてなんと御詫び申してよいかわかりません。
家の事もかんがえずによくもあんな事が今まで言へた物のだと帰へられてから
はづかしくなりました。家の事や御母さんの事がなんとなく心配になりまして
かないません。仕事の事も気になり夜も夢を見ます。
どうかやりにくいでしょうが一生懸命やつて下さい。
御体はどうですか。無理をせずにしてください。
十四日の日曜日はなんにも入りませんから御いそがしいでしようが午前中に
来て下さい。無にもいりません。
カギト豆電池はすみませんが持つて来て下さい。それだけです。食べる物は心配なく。
たゞ御母さんの元気な顔が見たいだけです。十四日の一日だけわ
ぜひおこらずに御いそがしいでしようが来て下さい
もしサーイダがあればスイトに入れて来て下さい。家のこともかんがへずに
申すのは心苦るしいですが今度だけわたのみます。
十四日で面会が出来ないらしいです。
本当に先日はすみませんでした。十四日の日も気分が悪るければ来てもらはなくても
けつこうです。しんぼうして行きますから御体を大切にして下ださい。
三年ぐらいですから。今度帰へったら御母さんに心配かけませんから元気にやつて下ださい。
仕事の糸は込谷様に頼んで下ださい。綿は澤田様にキカイは長谷川様に聞いてください。
三年間はどうかなにも言はづにたのみます。
今日寒いですからきをつけて下ださい。妹によろしく。
十四日の日、来られるようでしたら西岸寺に朝、御拝りになる
ように御たのみ下ださい。なるべく朝の内に来て下ださい。

(この手紙の送り主は、昭和二十年、フィリピンで戦死した。二十三歳だった。)

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