戦争と食べもの ②

本年度の展示は、「戦争と食べもの」というテーマを設け、太平洋戦争期の食べものについてご紹介しています。第2回目の本展示は、「野菜」と題し、野菜の増産、作地制限、完全利用を取り上げます。

昭和14年に出された価格等統制令によって、戦時中の野菜の値段は、それぞれに決められていました。昭和16年8月に農林省が青果物配給統制規則を定めると、同年12月に奈良県は奈良県青果物配給統制規則を出し、野菜の統制を行いました。戦時中は野菜の完全活用が掲げられ、皮、種、茎、枯れ葉、へたなども食べられるようになりました。

戦時中に野菜は不足しており、自給自足が呼びかけられました。家庭でも空き地を利用して、トマト、ダイコン、トウモロコシなどを作ることが奨励されました。甘藷(サツマイモ)は、米、麦と共に主要食糧農作物と位置づけられ、増産のために「甘藷増産数へ歌」が作られました。

奈良県は戦前のスイカの生産量日本一を誇っており、「大和西瓜」としてその名声を博していました。しかし、昭和16年3月に奈良県が農作物作付制限規則を出し、スイカ、テンカ(まくわ瓜)、ショヨ(ながいも)、ショウガ、カキ(観賞植物)の生産を制限したことにより、奈良県のスイカ生産量は著しく減少しました。

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