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『家の光』昭和18年10月号
(産業組合中央会発行、昭和18年)

農村向け雑誌『家の光』では、満州開拓慰問文の募集を行い、入選者は満州見学旅行に出かけている。昭和18年5月号には奈良県の国民学校1年生男児の慰問文が掲載され、10月号には男児の渡満日記が掲載されている。

『家の光』昭和18年10月号(表紙)

ボクモ マンシウヘ(義勇隊訓練本部長賞)
奈良県磯城郡安倍国民学校 初一 男児

僕らの兄さん、お元気ですか。…満州ってお空とどっちが広いかわからないほど、広いんだってね。そして、高粱がたくさんあるんだってね。その広い広い満州で兄さんたちはお国のために兵隊さんにも負けないように暑い日も寒い日も一生懸命に働いていらっしゃるのだと僕らの先生が教えて下さいました。

僕は国民学校の一年生です。…お父さんがもう3年も兵隊に行っているので、お母さんは毎日もんぺを履いて、田や畑の仕事をしていますが、晩御飯が済むと勇ましい兵隊さんのお話を聞かせてくださいます。そして「お前たちも、大きくなって立派な日本人になるのですよ」といつもおっしゃいます。…本当に僕も満州に行ってみたくてなりません。僕もそんな所へ行きたいなあ」と言うと、お母さんは「早く大きくなって広い広い所で力一杯働いてちょうだい。お母さんも一緒に行くかもしれないよ」といわれるが、ほんとかしらん。僕の大好きな先生やお母さんも一緒に行けたらいいんだがなぁと思います。(後略)

※原文はカタカナ

仲良しの満州へ(渡満日記)

※括弧内が男児の文章。漢字表記に改めています

8月2日 夕方、下関を出発

8月2日 釜山から新京行急行列車に乗車。「汽車が満州国へと入ると広い畠には、高粱がたくさんありました。」

8月5日 バスで、新京見物。「日本の兵隊さんの戦死された所では、静かに黙祷しました。」
※新京神社、忠霊塔、宮内府を車窓見学

8月6日「義勇隊訓練本部長様から、賞状と、立派なごほうびをいただきました。ぼくは早く大きくなつて、この広い満州で力一杯、元気に働こうと、心の中で思ひました。」
※新京放送局で慰問文を朗読

8月7日 吉林からバスで『豊満ダム』を見学。

8月8日 舒蘭の駅から馬車で大日向村(四家房開拓団)へ。

8月9日 水曲柳到着。満州の国民学校を訪問。

8月11日 水曲柳からハルビンへ。義勇軍を訪問。「かみの毛の赤い、目の玉の青い外人がたくさんゐました。また、りつぱなお寺や、大きなお家がたくさんありました。」

渡満日記旅程図

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