絵はがき  笠置方面 
南朝の遺跡 笠置山名所 絵はがき(大正末期~昭和初期発行)    写真提供:木村吉之助氏
1 笠置山木津川 

笠置山下を流れる川を云ふ源は大和及び近江より発し山城の北端を通過し淀川に合して大阪湾に入る
2 笠置山毘沙門堂

 多聞天を安置す楠正成の作といふ
3 笠置山鐘楼

 鐘は建久七年八月解脱上人の鋳造鐘の高さ三尺径り二尺二寸甚だ古雅ななり名鐘と称へらる
4 笠置山行宮遺跡

 山の最頂上にして広さ三百余歩あり楠柯の御夢の舊蹟なりと云ふ
5 笠置山薬師石

 高さ四十尺巾三十一尺あり文殊石は其左方にあり高さ二十二尺巾十六尺あり十三塔は元弘忠臣の供養塔なり
6 笠置山貝吹石

 高さ十六尺三十六尺あり元弘の戦に岩上にて陣貝を吹き指揮せし所なりと云ふ
7 笠置山平等石

 高さ二十五尺脚下に木津川の清流を臨み風景甚だ住なり此崖下に不動尊の石像を安置せり
8 笠置山記念碑

 山の北面半腹にあり高さ二十五尺巾二十尺一字の大きさ四尺五寸の大字を刻せり二品彰仁親王書とあり山下より遠く燦然として観ることを得べし
9 笠置山胎蔵界石

 高さ四十八尺巾二十七尺千手窟修法の時の金胎曼荼羅の両部石なりといへり
10 笠置山揺ぎ石

 懸崖の上にあるエ圓石なり高さ四尺周囲三十余尺あり指もて此れを押せば動揺す賊軍防衛に用ひし投石の遺留なりと云ふ
11 笠置山虚空蔵石
 高さ四十二尺巾二十四尺あり弘法大師此石に求聞持の法を修し自ら彫刻すと云ふ
笠置山の山水 大正7(1918)年~昭和8(1933)年  写真提供:成瀬匡章氏
№1859 笠置山の山水 Landscape.mt,Kasagi
 
     
笠置山   絵はがき発行:大正7年以前
絵葉書提供:中井陽一氏
naka-01395
笠置山 記念碑
 
 naka-01396
笠置山 後醍醐天皇 皇居跡
 naka-01397
笠置山 ユクギ石
高さ人長、周囲三十尺
片手にて之を撼せば(動かせ)動揺する。
元弘の当時投石防禦に用いし残り石なり
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笠置山虚空蔵石 
弘法大師の彫刻
naka-01399
笠置山 貝吹石
元弘戦陣石上にて貝を吹き指揮 
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笠置山弥勒石
 
 naka-01401
笠置山 山水の風景
木津川の清流
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笠置山薬師石

 
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笠置山 名鐘国宝 解脱鐘
 
naka-01404
笠置山 椿本護王宮)
 
naka-01405 01395~01404笠置山宛名面
 
 
naka-01406
笠置山度ケ淵 
naka-01407 01406の笠置山宛名面     
笠置名所
大正7(1918)年~昭和8(1933)年   
絵はがき提供:成瀬匡章氏
 №4421(笠置名所)後醍醐天皇行在所
№4422(笠置名所)元弘皇居記念碑
 
 №4423(笠置名所)ゆるぎ岩
№4424(笠置名所)貝吹岩
 
 №4425(笠置名所)木津川鹿ヶ淵
№4421~4425宛名面
 
   
笠置名所
大正7(1918)年~昭和8(1933)年   
絵はがき提供:成瀬匡章氏   
№4426(笠置名所)行宮遺址
 
№4427(笠置名所)笠置山上より木津川の清流を望む
 
№4428(笠置名所)木津川の清流
 
№4426~4428宛名面 
笠置山 
大正7(1918)年~昭和8(1933)年
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
 笠置山 
大正7(1918)年~昭和8(1933)年
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
№4429(笠置山 貝吹岩)
 
№4429宛名面
 
№4430(笠置山)本尊前ノ景
 
№4430宛名面
 
笠置山笠置寺
 明治40(1907)年~大正7(1918)年
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
  行宮遺趾 
 明治40(1907)年~大正7(1918)年
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
 №4431 笠置山笠置寺 Kasagi temple,mt’ Kasagi.
№4431宛名面
 
№4432 行宮遺趾
 
№4432宛名面
 
笠置山 後醍醐天皇 皇居蹟
明治40(1907)年~大正7(1918)年  
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
笠置山行宮遺趾 
大正7(1918)年~昭和8(1933)年
絵はがき提供:成瀬匡章氏 
 №4433(笠置山 後醍醐天皇 皇居蹟)
№4433宛名面
 
№4434 笠置山行宮遺趾)
 
№4434宛名面