周囲を山に囲まれ、吉野川の清流に高見川が合流する辺りは、かつて国栖郷(くずごう)と呼ばれ、手すき和紙の里として知られてきた。その始まりは、古代大海人皇子(おおあまのみこ/後の天武天皇)が国栖の村人に紙すきを勧めたと伝わる。
国栖郷や近隣の村で製紙原料のコウゾが栽培され、国栖紙(くずがみ)とも宇陀紙(うだがみ)とも呼ばれる上質の和紙や、吉野紙(漆漉紙・うるしこしがみ)などが盛んに作られ、最盛期には200戸を超える紙すき農家があったという。
現在では6戸となったが、手間を惜しまず、昔ながらの手すきと天日干しによる強くて美しい和紙を今に伝えている。
所在地:奈良県吉野郡吉野町
※写真は、「福西和紙本舗」(奈良県吉野郡吉野町窪垣内218-1)にて撮影