※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

柳の渡し跡(やなぎのわたしあと)

概要

東西に流れる吉野川にかつてあった渡しの一つ。北岸の大淀町北六田と、南岸の吉野町六田を結んで渡し舟が往来した。大淀町側に、天明6年(1786)建立の石灯籠や道標が残り、ヤナギの木が立っている。
平安時代、醍醐寺(京都市)の開祖・聖宝(しょうぼう)が、金峯山への要路として開いたとされる。北岸沿いの国道169号は、かつての伊勢南街道で、江戸時代には吉野山への花見や大峯山への参詣でにぎわった。付近は「六田の淀」と呼ばれ、万葉集にも登場する。大淀町指定の史跡になっている。
渡しとしてはほかに、ここより上流の「桜の渡し」、下流の「椿(つばき)の渡し」「檜(ひのき)の渡し」があった。現在、渡しがあった4カ所には、上流から桜橋、美吉野橋、新椿大橋、千石橋が架かる。

参考

所在地:奈良県吉野郡大淀町北六田
見学自由

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