延喜式神名帳(927年)に記された葛下郡の火幡神社に比定される。
新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)に、大同元年(806)に伊予国10戸の神封を火幡神(ほはたのかみ)に与えるという記事があり、平安時代には神社が存在していたとみられる。
火幡、秀幡、秀機(いずれも「ほはた」と読む)は、優れた織物、機織りを意味することから、神社は、養蚕、機織りを担う集団によって祭られたのが始まりとも考えられている。
こうしたことから、付近に機織りの集落が存在していたことがうかがわれるという。
現在の祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、神功皇后、誉田別命(ほんだわけのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)。
本殿は五間社流造、向拝一間向唐破風造。拝殿は昭和46年(1971)に再建されたものである。
拝殿前には元禄9年(1696)に畠田村の人々が奉納した石灯籠がある。
所在地:奈良県北葛城郡王寺町畠田5-12-1
拝観時間:境内拝観自由