※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

保久良古墳(ほくらこふん)

概要

墳丘の形は不明だが、規模は20メートル前後。 全長約10メートルの横穴式石室を持つ。大和志料(1894年)で、中大兄皇子(天智天皇)の皇子・健皇子(たけるのみこ/651~658年)のもがり塚とされた。
健皇子は啞者(あしゃ)で、わずか8歳で亡くなった。 祖母の斉明(皇極)天皇は孫をなくした悲しみを歌に詠んだが、その歌にある「いまき」が古墳の所在する大淀町今木とされる。
斉明天皇は自分の死後、健皇子を合葬するよう言い残している。

参考

所在地:奈良県吉野郡大淀町今木
見学自由

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