※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

長屋王墓(ながやおうのはか)

概要

近鉄生駒線・平群駅の北にある塚で、直径15メートル、高さ1.5メートルほどの円墳。
明治34年(1901)、宮内庁によって長屋王の墳墓に治定されており、王墓の下に削平された全長40メートル級の前方後円墳(6世紀前半)が存在する。
長屋王は奈良時代初期の皇親政治家で、神亀元年(724)に最高職の左大臣に就任し、聖武天皇を盛り立てて政治を行った。
神亀6年(729)、皇位継承にからみ謀反の疑いをかけられた際、邸宅を囲まれ、妃(きさき)の吉備内親王と4人の皇子とともに自殺に追い込まれた。
「続日本紀(神亀6年(729))」には、正妻の吉備内親王とともに生駒山に葬られたと記されているが、明確な葬地は示されていない。
北西150メートルの所に、同じく明治34年(1901)に宮内庁により治定された吉備内親王墓がある。

参考

所在地:奈良県生駒郡平群町梨本758

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