※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

天誅組本陣跡(櫻井寺)(てんちゅうぐみほんじんあと/さくらいじ)

概要

天暦年間(947~957年)に櫻井康成によって開かれた浄土宗の寺院で、天誅組の本陣があった場所として知られる。
本堂は昭和42年(1967)に完成した鉄筋コンクリート造り。境内には、浄瑠璃「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」に登場する三勝と半七の塚がある。
天誅組は、幕末に公卿(くぎょう)中山忠光を主将とする尊皇攘夷派浪士の集団である。大和に挙兵した天誅組は、文久3年(1863)8月に五條代官所を襲撃。櫻井寺を本陣として五條仮政府を設けた。寺の門前には「天誅組本陣跡」の石標が、本堂前には代官・鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢がある。
昭和42年(1967)に完成した本堂、庫裏、書院、山門、鐘楼は、文化勲章受章者の建築家・村野藤吾氏の設計。翌43年(1968)に完成した庭園は、森蘊(もりおさむ)氏の設計。同43年に建立された天誅組本陣跡の石碑は、書家・中村素堂氏の揮毫(きごう)。三氏とも各分野で活躍、寺にゆかりがあったという。

参考

所在地:奈良県五條市須恵1-3-26
拝観時間:9時00分~17時00分

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