金剛寺(川上村)は、高野山真言宗の寺院で、南朝最後の皇子となった自天王と忠義王を祭っている。
境内には、自天王と忠義王の陵墓、牛頭天王神社、自天王神社、後南朝の遺品の収蔵庫などがある。
南北合一後の扱いに納得しなかった南朝側の後亀山天皇の子孫が、皇位継承の証しである三種の神器の神璽(しんじ)を奪って川上に入り、子孫の1人である尊義王に譲った。
尊義王は年号も定め「後南朝」を立て、その子・自天王と忠義王の2人がその後を継いだ。
自天王は北山郷(上北山村)に、忠義王は河野谷村(川上村神之谷)にそれぞれ御所を構えていたが、嘉吉の乱により滅ぼされた赤松家の家臣が、長禄元(1457)年12月2日、2つの御所を襲撃。自天王の首と神璽を持ち去った。郷士たちは皇子の首と神璽を取り返し、首は金剛寺に手厚く葬られたと伝わる。
金剛寺では、若くして悲運の最期を遂げた自天王をしのび、生前の武具をご神体としてあがめる「朝拝式」が、500余年行われている。これは、自天王が亡くなった後の長禄3年(1459)に、郷士たちが川上の柏木対岸に集まり、尊義王が亡くなった2月5日を期して、当時行われていた新年拝賀式に倣い朝拝式を行ったのが始まりである。
現在では、村の保存会によって継承されている。
開催場所:奈良県吉野郡川上村神之谷212 金剛寺収蔵庫前
開催日時:毎年2月5日 9時30分~12時00分