※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

多聞城跡(たもんじょうあと)

概要

多聞城は、戦国時代、大和一円を支配しようとした松永久秀が、永禄3年(1560)に築いた城である。 四層の天守を持つ城として知られており、城の石垣の上に築かれた武器庫と防壁を兼ねた長屋造りの建物を「多聞櫓(たもんやぐら)」と呼ぶのは、この城に由来する。 織田信長は、多聞城をまねて安土城を造ったとされる。
多聞城は、東大寺の北西、眉間寺山と呼ばれていた奈良市街を一望できる小高い山の上にあり、大和の要衝の一つとして機能したが、天正8年(1580)、信長が筒井順慶に大和郡山城を除く全ての城を破却するよう命じたため、廃城となった。
現在は若草中学校が立っており、中学校の敷地の西側に、わずかに遺構を残すのみである。

参考

所在地:奈良県奈良市法蓮町

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