※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

高取城跡(たかとりじょうあと)

概要

南北朝時代、大和高市一帯を治める豪族・越智一族が、標高583メートルの高取山山上に山城を築いたのが始まりと伝わる。自然の地形に多少の工作を加え、敵を防ぐ砦(とりで)のような掻揚げ城(かきあげじろ)であった。
のちに、郡山城の控えの城として、最後の一戦を決すべき拠点とされ、天正13年(1585)、郡山城主・豊臣秀長の重臣・本多太郎佐衛門が、本格的な築城を進めた。
その後、寛永17年(1640)、幕府大番頭・植村家政が高取藩主となり、以後、14代228年にわたって植村家が藩主を務めた。やがて時代が進み、世が泰平になるにつれて山上の生活が不便になり、城下町へと屋敷が移されたという。
版籍奉還によって、明治6年(1873)廃城。昭和28年(1953)3月31日に国の史跡に指定され、現在に至る。

参考

所在地:奈良県高市郡高取町高取

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