※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

崇峻天皇陵(すしゅんてんのうりょう)

概要

崇峻天皇は、蘇我馬子の後ろ盾により即位したが、後に蘇我氏との関係が悪化し、最終的に、馬子の差し向けた東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に暗殺され、その日のうちに倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬られたと古事記に記されている。
崇峻天皇の宮・倉梯柴垣宮と考えられている桜井市倉橋付近に、位牌(いはい)を祭る寺があったことから、明治時代に宮内庁が、この地の円墳を崇峻天皇の倉梯岡陵に比定した。 しかし、現在では、近くの天王山古墳を崇峻天皇陵とする説が有力となっている。

参考

所在地:奈良県桜井市倉橋
参拝自由

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