※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

柿本寺跡(しほんじあと)

概要

柿本寺(しほんじ)は柿本氏の氏寺で、ここに、三十六歌仙の一人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の遺骨を葬ったため、歌塚として有名になった。
出土した古瓦から、奈良時代に創建されたと考えられている。
室町時代には、現在の櫟本小学校の西側へ移転し、江戸時代には学僧を多く輩出し、和歌や茶の湯などに親しんだが、明治初年に廃寺となった。
南北朝時代前後に描かれた 「柿本寺曼陀羅(まんだら)」ほかの寺宝が、今に残されている。
現在の歌塚の碑は、享保17年(1732)に、森本宗範や柿本寺の僧らによって建立されたものである。

参考

所在地:奈良県天理市櫟本町

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