※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)(さきいしづかやまこふん/せいむてんのうりょう)

概要

佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の西群に属する全長218.5メートルの前方後円墳。後円部は直径132メートル、高さ23メートル、前方部は幅111メートル、高さ16メートル。周濠(しゅうごう)が巡っている。
築造は古墳時代前期。
宮内庁は成務天皇の狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)に治定している。
東隣にある成務天皇の祖母の日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)、南隣の称徳(孝謙)天皇陵(佐紀高塚古墳)とともに「佐紀三陵」と呼ばれる。
江戸時代元禄のころまでは、現在の神功皇后陵(五社神古墳)が成務天皇陵とされていた。
日本書紀によると、成務天皇は初めて地方の国県の区画を定め、国、郡(こおり)、県(あがた)、邑(むら)のそれぞれに首長を置いて、行政機構の整備を行ったと伝えられている。

参考

所在地:奈良県奈良市山陵町

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