康治2年(1143)、崇徳(すとく)天皇の中宮・皇嘉門院(こうかもんいん)聖子によって建立されたが、治承4年(1180)に焼失。鎌倉時代前期に再建されたのが現在の塔である。興福寺では北円堂とともに最古の建物で、平安時代の建築様式を伝えている。
初層内部の四天柱(してんばしら)をX状に結ぶ板の東方に薬師如来像、南に釈迦如来像、西に阿弥陀如来像、北に弥勒如来像がそれぞれ千体描かれている。さらに、四天柱や長押(なげし)、外陣(げじん)の柱や扉、板壁には、宝相華文や楼閣、仏、菩薩などが描かれ、全面に彩色が施されている。
毎年7月7日のみ公開される。
所在地:奈良県奈良市登大路町48