※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

顕宗天皇陵(けんぞうてんのうりょう)

概要

北今市古墳群の北側に築かれた古墳。前方後円墳とする説があるが、詳細は不明である。
明治22年 (1889)、顕宗天皇の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)に比定された。天皇陵としては新しい。
江戸時代には北約2キロにある平野塚穴山古墳(国史跡)が同天皇陵に比定されていた。
顕宗天皇は、記紀系譜上の第23代天皇。日本書紀には、第22代清寧天皇の後の皇位継承者が定まらなかったところ、第17代履中天皇の子の市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の遺児として兄弟が播磨国(兵庫県)で発見されたことを契機に、弟の袁祁王(をけのみこ)が23代顕宗天皇として、兄の意富祁王(おけのみこ)が24代仁賢天皇として皇位を譲り合って即位したという謎めいた逸話が記されている。

参考

所在地:奈良県香芝市北今市4丁目

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