※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

カトリック大和郡山教会 切支丹流配碑(かとりっくやまとこおりやまきょうかい きりしたんるはいひ)

概要

江戸幕府は、全国でキリスト教宣教師と信徒を徹底的に取り締まり、強制的に仏教へと改宗させ、改宗しない者は処刑する政策をとった。
明治政府になってもキリスト教徒(切支丹)迫害は続き、明治2年(1869)、異教徒として捕えられた長崎・浦上のキリスト教徒3416人は、日本各地へと流配される。そのうち86人が、大和郡山へ強制送致された。
郡山藩主・柳沢保申は、「流配信徒の処遇は寛大にすべきだ」と主張したが、政府によるキリスト教徒弾圧の手は緩まず、強制労働を課されるなど、異郷での苦難の日々は5年にも及んだという。
霊幻寺(現・良玄寺)には、一時、本堂にキリスト教徒が収容されていたこともあり、大和郡山の地で殉教死した6人の名前が刻まれた墓碑が、境内に建立されていた。昭和44年(1969)11月3日、この墓碑をカトリック大和郡山教会の敷地に移し、記念碑としたのが「切支丹流配碑」である。

参考

所在地:奈良県大和郡山市城南町1-33
見学時間:10時00分~16時00分

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