※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

額安寺(かくあんじ)

概要

聖徳太子が建てた学問の道場、熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が前身と伝えられる真言系単立寺院。
辺りは古代、大和川(初瀬川)と佐保川が合流する水運の要衝で、大阪湾からさかのぼってくる外国からの使いや文物が到着する玄関口に立つ大寺院として存在した。
天平宝宇年間(757~765年)の額田寺伽藍並条里図(ぬかたでらがらんならびにじょうりず)には、七堂伽藍を備えた壮大な寺が描かれている。鎌倉時代には、この寺で得度した忍性(にんしょう、1217~1303年)が、社会福祉事業の拠点とした。
しかし、戦国時代に入り、明応8年(1499)、赤沢朝経(あかざわともつね)の大和国乱入で、伽藍はすべて焼失した。その後、慶長2年(1597)に豊臣秀吉から寺領12石を与えられ、同11年(1606)、講堂跡に現在の本堂が再建された。
明治期に現在の境内地以外の寺領を失い、再び荒廃したが、昭和50年(1975)から復興が進められ、平成17年(2005)には本堂の解体修理を終えた。
寺宝には、国内最古の虚空蔵菩薩半跏像(奈良時代、重要文化財)や、忍性などの骨蔵器11点(重要文化財)、忍性などの五輪塔8基(重要文化財)、銘のあるものでは国内で2番目に古い文応元年(1260)の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)などがある。

参考

所在地:奈良県大和郡山市額田部寺町36
拝観時間:10時00分~16時00分、団体の場合は予約が必要

※コンテンツの著作権は、原則として奈良県に属します。当サイト上の文章・写真等の無断使用・転載、二次利用を禁止します。
Copyright (C) Nara Prefecture All Rights Reserved.